柳田國男全集 7

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柳田國男全集 7
1990年1月30日 第1刷発行
ちくま文庫

この巻では「伝説」「木思石語」「神を助けた話」など伝説というものを中心に考察しています。

伝説と昔話の特徴
・伝説は人がこれを信じているのに対し、昔話は話に責任を負わない
・伝説の中心には必ず記念物があるのに対し、昔話には記念物がない
・伝説は語る時に定まった形式がないのに対し、昔話には定まった形式がある

番町の皿屋敷、あれは私(柳田)などのくにでは播州皿屋敷といい、現に井戸もありお菊虫もいる。
更に同じような言い伝えは土佐の幡多郡や長州、上州妙義山山麓の小幡氏一族にもある。p69

ヨーロッパ人の東洋進出に使われた方法
オランダが台湾の土人を欺き、仏郎機(フランス?)が呂宋の国王をすかして地を乞うたのは、いずれも牛の皮一枚で囲えるだけの地面をと約束して、その皮を細かく裂いて紐にして縄張りをしたと。
もともと昔カルタゴ国を創立した王女ヂドの謀計として知られていた。p141

海を越えて入って来た(日本)国民としては、不思議に土の問題ばかりに我々は熱中していた。海の口碑の分量においては、永年大陸を漂泊したフランス人等よりもはるかに劣っている。これはむしろ故郷が海の小島であったゆえに、珍しい新地をもてはやしたのかも知れぬが、p203

江戸・大阪・長崎などの思案橋
以前の遊所に近かったそうで、そこに行くか思案するというという説もあるが、自分などは、これを橋占の故跡と見ている。p205

伝説を採集する簡単な方法
氏神の社の付近に、必ず何か目につくものがある
立ちどまって見つめるか、写真を撮るかスケッチして人寄せする
そして一番近くに来た人に「見事な木ですね」とか「変わった石ですね」とか尋ね「名はありますか」と聞き、答えた名前に対して「それは珍しい名前だ。きっと何かいわれがあるでしょう」と続けていく。p221-222

武蔵野と水 より
泉と神様の出現とを不可分の関係に置いたことが、自然に誕生水の言い伝えを生じたので、もし御神体がない場合には、普通に井の際に御社を立て、そうして信心深い人々だけは、そこに神様の幻を見ることができたことと思わかる。北ヨーロッパなどの多くの田舎においても、やはり古い信仰はこうして清い流れの岸に留まっている。後に基督教の法師たちが、努めてこれを聖母マリアと御子の示現、さては代々の聖者達の巡歴譚などに改めて、いつまでもこれを保存せしめようとした。実際の生活の必要に基づいて生まれたものを、根こそげ抜き棄てるということは、いかなる統一宗教の力でも容易でなかったからである。p304

日本の地蔵様と道祖神かは、似ぬ点が少ないくらいよく似ている。p455
地蔵と道祖神との間柄はラフカヂオ・ハーンと小泉八雲氏との間柄である。p539

生石伝説 より
君が代は千代に八千代にさざれ石の
巌となりて苔のむすまで
さていかにしてかくのごとき歌ができたのか、それを考えてみた人はおそらく誰もあるまい。
老いては国といえども、物忘れをする。
この歌は神霊の宿っている石は、年とともに成長するものだということが民間普通の信仰であった時代に歌われた歌である。p493

伝説の系統及び分類p575~p582
1 長者伝説
2 糠塚伝説
3 朝日夕日伝説
4 金鶏伝説
5 隠れ里伝説
6 椀貸伝説
7 生石伝説
8 姥神伝説
9 八百比丘尼伝説
10 三女神伝説
11 巨人伝説
12 ダイダラ法師伝説
13 神馬伝説
14 池月磨墨伝説
15 川童馬引伝説
16 硯水伝説