白米城の伝説について(柳田國男全集 7 より)

白米城の伝説
ある山の上の城砦が水攻めにあう。城中では水の乏しいことを隠すために、馬を崖の端に牽き出して白米をもって脚を洗う真似をして見せた。遠くからこれを望んだ寄せ手は欺かれて、水攻めは無益といったん引き揚げて還ろうとしたが、たまたま鳥類、犬などの挙動によって謀計が暴露し、または老女が告げ口をしたために実際がわかって、ついに落城して滅びたという類の話
 
白米城の話を最初にしたのは、口寄せという者の口を借りた武士の幽霊だと言えるのではないか。

・文芸に対する民衆の態度もしくは要求が、もとは今日とまるで違っていた
・歴史というものの成立には、我々が今日史料と名づくれるもの以外、さらに一つの非常に豊富かつ有力なる供給源があった
・全国農民の生活に織り交えられて、ある少数の移動分子が、かなり強烈に社会文化の表相を彩っていた
・我々の大昔から持っている異常信仰の根底には、あるいは近代の伝説長養と同じ種類の作用が、暗暗裡に加担していたのかもしれぬことp241

もし強いて白米城の伝説の責任者を明らかにしようとすれば、それは欺いた人でもなくまた軽々しく信じた人でもなく、むしろその土の久しく荒れて、秋の草の離々としていたということに、やさしい物の哀れを感じていた人々こそ、当の本人だと言わなければなるまい。芸術は言わば人間の幸福なる弱味から、こういう順序を踏んでだんだんに発達したものであるらしいのである。p259

白米城の類例の中で気のつくことは
・事件の起こったという時代が皆新しく、たいていは足利末のいわゆる軍書時代に属し、その以前の言い伝えというものは三つ四つしかないこと
・その大部分が敗北者の記録で、城は落ち守兵は戦死したものの多いこと
・この妙計も効を奏しなかったという事情に、女子の関与したものがかなり多い。p268