柳田国男と折口信夫(岩波書店)

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柳田国男折口信夫
同時代ライブラリー202
池田彌三郎 谷川健一 著
岩波書店 発行
1994年10月17日 第1刷発行

折口信夫の高弟であり、柳田国男とも身近に接した池田彌三郎と、両者の影響を受けながら独自の民俗学を築いた谷川健一の対談です。

「山の人生」の冒頭の炭焼きの男の話
1976年に郡上八幡で「奥美濃四方山話」という聞き書き集を手に入れる。
その中の「シンシロウサ」が山の人生の炭焼きの男
娘と死のうとした動機が、娘が奉公先で意地悪をされたことであり、飢饉や貧しさが動機ではなかった。
柳田による、無意識の創作か? P49-53

序文で、自分のまだ産み落としたばかりの赤ん坊のような著作に批判を加える柳田さん。
遠野物語」では
国内の山村にして遠野より更に物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ。此の書の如きは陳勝呉広(物事のさきがけをすること)のみ
と書く。
自分の書いたものを高みから見下ろすこうした批判精神が、具体的な書物より、柳田国男の考えの方を大きくさせる結果を生んでいる。p141-142
柳田国男にとって、個々の著作は、それ自体が完成物ではなく、民俗学という巨大な石垣の石の一つ一つに過ぎなかったという気がします)

折口信夫は行かないところは書けない。知識だけで書いてはいけない。肌身に感じなくては書いてはいけないんだ、という考えの人だったのでは。
民俗学はそういう学問である。p173

柳田先生があれだけの仕事をできたのは役人だったからだ。あの組織力は私立の先生にはない。
柳田学というのは、しかるべきところに人を配置し手足のごとく使うという組織力の上に成り立っていた。
柳田学はルネッサンス建築のようなもので、折口学はバロック的な雰囲気を持っている。たとえて言えばガウディのあの怪奇な建物のような。
そして折口学は柳田学の未完成な部分の上に建て加えられていく。p174-175

ヨーロッパで古典学という場合、ギリシャ・ラテンがある。
日本でいえば薄弱で、漢籍はあるものの、生活とは無縁。
日本の場合、生きた古典は生活の中にしかない生活人の慣習とか習俗の中にしかない、というのが柳田国男の考えだったのではないか。p206-207