須賀敦子の手紙 1975-1997年 友人への55通

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須賀敦子の手紙
1975-1997年 友人への55通
スマ・コーン ジョエル・コーン 北村良子 編集協力
㈱ つるとはな 発行
2016年 5月28日 初版第1刷 発行

この本では、親友であったスマ・コーン、ジョエル・コーンの二人にあてた55通の手紙を紹介しています。
手紙や絵葉書、封筒をそのまま写真に撮って掲載しています。一部は活字におこしています。
親しい友人にあてたリラックスした内容です。どことなく、林芙美子さんの文章を思い出しました。しかし中味は文学者というより、大学の講師としての愚痴めいたものが多く見受けられます。
以前、この手紙が見つかったというネットの記事を読んで、このブログにも書いたのですが、その記事の部分が消されてしまっていたので、再掲いたします。

産経ニュース 2014.10.17 21:34更新

「ミラノ 霧の風景」などで知られる須賀敦子さんの書簡55通を発見 葛藤や恋情などつづる

「ミラノ 霧の風景」などで知られるエッセイストでイタリア文学者の須賀敦子さん(1929~98年)が、米ハワイ在住の友人夫妻にあてた未公開書簡55通が見つかったことが17日わかった。大学教員としての葛藤や知られざる恋情などがつづられており、等身大の文筆家の姿が迫る興味深い資料といえそうだ。
 書簡は、イタリア人の夫と死別した須賀さんが帰国してから間もない昭和47年ごろに知り合った米国人の日本文学研究者と北海道出身のアーティストである妻に宛てたもの。昭和50年10月から、須賀さんが亡くなる直前の平成9年4月までの22年にわたり交わされていた。今後の扱いに悩んだ夫妻が昨年9月、須賀さんの妹にコピーを見せて存在が明らかになった。
 須賀さんがミラノの家を引き払い、日本に帰ったのは昭和46年。それから約6年が経った52年5月の書簡には〈もう私の恋は終りました。その人をみてもなんでもなくなってしまった。(略)一寸淋しいきもちだけど しずかで明るいかんじも戻ってきました〉とつづられ、夫との死別後に新たな恋の相手が生まれたことをうかがわせる。また〈詩を訳したりessayを書いたりすることも最高に幸福なのですが、それがすぐに、世間という場の中でrankされてクギヅケ、ハリツケになる。そういうことだったら“えらく”ならなくたっていいじゃあないか〉(52年8月)と自分の文章が世に出ることへの喜びとおそれも率直に吐露。〈やっぱり私は学者などという大それたものにはなれない〉〈私の生涯というのはこのように気の多い、支離滅裂なことで終わってしまうのでしょう〉(ともに59年1月)などと悩みや弱音も包み隠さず打ち明けている。
書簡の一部は、24日に創刊される新雑誌「つるとはな」に2回に分けて掲載される。また横浜市神奈川近代文学館で開催中の「須賀敦子の世界展」でも同日から展示される。
 「つるとはな」の編集制作を担当する作家、松家仁之さんは「須賀さんは快活で面白い方だが、辛辣なところもあり友人を選ぶ人でもあった。折々の屈託や悩みなどがこれだけ率直に吐露されているのは極めて珍しく、夫妻への信頼の厚さがうかがえる」と話している。