須賀敦子とアッシジと丘の町

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岡本太郎 文/写真
2003年11月30日 初版発行

イタリアはウンブリア地方のペルージャアッシジを、須賀敦子さんの跡をたどりながら、美しい写真とともに綴っていきます。
自分はこの地方には行ったことがないのですが、このような本を読むと訪問したくなってしまいます。

糸杉が群青に近い色の空を背景に並んでいる。オリーブの銀の柔毛が、七月のまぶしい太陽に輝く。そんな中でイタリア語を覚えるなど、今考えると信じられぬくらいの贅沢だった。(「イタリア語と私」全集第二巻)

もともとペルージャはローマ時代から中世にかけて交通の要所として栄えてきたので、そうして世界とつながりながら、周囲の自然とも調和を保ちつつ、町を運営していくというきわめて健康的な精神風土は備え持っていたのだろう。だからここは外国人にも安心できる、住みやすい場所なのだ。

イタリア共和国の中でどこが一番イタリアらしいかという問いには、多くの人間が「中部イタリア」と答えるはずだ。
中部イタリアでは、古くはいまだにその全容が解明されていないエトルリア文明が花開き、そしてローマ文明が生まれ、イタリアの基礎を形成し、その後もこの土壌から各地方の文化が発展してきたと言えるのである。

騎士道物語をこよなく愛した彼(聖フランチェスコ)の詩的な感性は、美しいもの、限りないものへの無条件の憧憬だ。決定的な挫折を味わった時に、物質主義の罠から抜け出し、一個の肉体の牢獄を超えてすべての根源に心を向けることが出来たのはそのおかげだろう。

ジョットの「聖フランチェスコ伝」は、それまでの静的で装飾的な絵画表現から、より生き生きと写実的な、画家の個性を際立たせる作風への西欧絵画の転機を示すものとされている。それ以前の教会を飾っていたビザンチン芸術による図案化された硬い表情の聖人とは異なる、あまりにも人間的で限りない親しみを感じさせる聖人フランチェスコを描くために、ジョットの天才は遺憾なく腕を振るい、そしてここからの道のりを経てルネサンス芸術が花開いていくのだ。

あの頃、須賀はフランチェスコに深く傾倒していた。それに、彼女はこの愛すべき聖人に通じる特質がいくつかあった。夢見がちな感受性があり、無邪気なロマンティシズムがあり、自由な精神があり、小ささや静謐を愛する心があり、仲間たちと連れ立って冒険に出ようとする意志があり、そして何より生きる歓びがあった。