雷神帖 池澤夏樹 著

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雷神帖
エッセー集成2
2008年11月10日 発行
 
コンピューターというのは遅れてきた道具である。
だから新顔として既成の社会に参画する際にはメタファーの衣をまとって登場した。ファイルとかフォルダー、ゴミ箱やメールなどと呼ぶのはそのためだ。
 
兌換紙幣の発行機であったはずのコンピューターがどこからか不換紙幣を大量に発行して、情報的なインフレーションを引き起こしている。
インターネットは特にその傾向が強い。
内容より簡単に手に入ることの方を優先してしまう。
検索システムでたどれる答えのようなものが本当の答えかの検証は自分で、コンピューターの外による尺度によって行わなければならない。
 
本というものの価値は買うときにはわからない。だから本を買うという行為は博打めいている。一生に一度という出会いの対価が数百円だったりする。
 
池澤さんの住んでいるフォンテーヌブローのような小さな町にも製本工房(l'atelier de reliure)がある。
しかし自分の本を綺麗に製本してもらうのに迷う池澤さん。
若い頃、同じ作家の父・福永武彦の作品が何点も限定版にされた時、若きプロレタリアートとして、そのようなブルジョワ的で趣味的な本に反発を感じた経験がある。
しかし結局誘惑に負けて製本してもらいにいく。
一夏を経て、受け取りに行く。細部まで行き届いた、いかにも腕のいい職人の仕事を実感する。
 
エドマンド・ウィルソンという作家による社会主義思想史「フィンランド駅へ」
このフィンランド駅というのは、パリの北駅と同じように、フィンランドにある駅ではなく、ペトログラードにある西行き国際列車が出る駅のこと。
レーニンが有名な封印列車に乗ってスイスから戻り、フィンランド駅に降り立つまで、つまり社会主義思想がロシアという国で政権を握って具体化するまでの歴史を書いた本である。
レーニンフィンランド駅頭に降り立つまで、それはスリリングな知的冒険であった。しかし国家的な社会主義は結局失敗し、人間が知的営為によって自分たちの運命をよい方に向けられるか、人にその能力があるかという大きな問いは否定された。