世界を巡る美術探検

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世界を巡る美術探検
2012(平成24)年7月1日 発行
 
実際に著者が訪問しフィールドワークを行ってきた遺跡や古代美術を、ヨーロッパ・アジア・アフリカ・オセアニアアメリカに分けて紹介しています。
歴史という時間的縦軸と、地域という空間的横軸を交差させ、さらに芸術性、宗教性、旅そのものと切り口を変えて、実体験を交えながら叙述しています。
 
西洋、中国、日本の美術を象徴するものとして、ヴィーナス、龍、秋草をあげている。
対象の物体性を理知的、写実的に表現する西洋美術を貫くのはヴィーナスに代表される人体
超越性を象徴的に表現する中国美術は、龍の畏怖性に通じる理想的な山水画に代表され
時の流れをこよなく愛する日本人は、秋草に託して感覚的、情緒的な気分を表す。
 
前460年ごろのルドヴィシの玉座浮彫のアフロディテの誕生では、生まれたばかりなのに薄衣を着ている。これは宗教心の篤かった当時の人が、女神に対する尊宗の念から裸にするのを憚った。
この後片肌脱ぎから「ミロのヴィーナス」のような諸肌脱ぎとなり、原作が前100年ごろといわれる「キュレネのアフロディテ」では全裸となる。
 
フランスの約半分をバイクで駆け巡って感じたことは、この国の豊かさである。
それは物質的豊かさだけでなく、村ごとに聖堂や城があり、ロワール川以南の聖堂の大半はロマネスク期である。
また多くの美術博物館がある。そして小さい村では城の一室にその地から出土した文化財を展示している。そこで大博物館にもない、貴重な考古資料や美術作品を出土地ないしゆかりの地で見ることが出来る。
 
唐時代の陸羽は「茶経」の中で茶水を論じている。
あるとき揚子江の南零の近くに、李季卿という刺史と共に行った時、佳き水という評判のある南零の水を従者に汲みに生かせた。
しかしその水を一碗喫したとき、「この水は江水には違いないが、南零の水ではない。岸辺の水のようだ」と言った。
汲みに行った者は自分はちゃんと汲みに行ったと反駁した。
陸羽はそれに答えず、杓で水をくみ上げながら、人々に勧めたり自分も味わっていた。程なく壺の水が半分くらいになったとき、突然大声で言った。
「これからが南零の水だ」
すると水を汲んだ男は大いに驚き、陸羽の前に平伏した。
「実は南零の水を汲んで帰る途中、半分ほど水をこぼしました。仕方なく岸の水を汲み加えて、増しました。あなたの舌は神様のようです。何一つ隠すことが出来ません」
その言葉に、李はもとより、居合わせた大勢の客や従者は飛び上がらんばかりに驚いた。
(というか、壺の中で水が混ざらなかったのか、と単純に思うのですが・・・)