シャルリとは誰か?(~序章)

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シャルリとは誰か?
人種差別と没落する西欧
原題(QUI EST CHARLIE? Sociologie d'une crise religieuse)
堀茂樹 訳
2016年(平成28年)1月20日 第1刷発行
文春新書 1054


この本の生成に関わりのある日本
シャルリーエブドのテロ事件に反発したデモ行進から数週間、フランスでは、シャルリ現象の意味に関してわずかな疑いを表明することも不可能だった
そんな中、讀賣新聞のインタヴューで、著者はフランス社会の大勢に与することへの自分の消極姿勢を語る。
そうすることで、正真正銘の安堵感、解放感、孤独からの脱出感を味わった。
(その記事についてはトラバ参照)
また日経に答えたインタヴューがAFPにより、パリに逆輸入される形で報道される。
その記事では、他者の宗教を頭から批判することに消極的な日本人の態度に近いということを示唆するフレーズで締めくくられる。
日本は著者にとって、知的な足場の一つであり、心理的安定の拠り所となった。

著者が容赦なく批判しているフランスは
その支配階層の不平等主義的で反自由的な具体的振る舞いが、フランス史のもっとも暗い時期、すなわちドレフュス事件ヴィシー政権の時期を思わせるというのに、間抜けにも、自らを1789年の大革命や、自由及び平等の価値や、普遍的人間という理念の後継者だと思っているフランス
この本では
崩壊しつつあるカトリシズム―「ゾンビ・カトリシズム」をイスラム恐怖症へ
そして崩壊しつつあるイスラム反ユダヤ主義へと導いていく地獄のようなメカニズムを分解して見せる。

「私はシャルリ」という決まり文句が「私はフランス人」の同意語のようになってしまった。
それに対して反論すると
「フランス人であるとは、冒瀆を権利として持つだけでなく、義務として負うことなのだ」
というヴォルテールの言葉を引用してきた。

デモの参加者が、あの日デモに加わることで、自分は本当のところ何をしたのだろうか、あるいは何の保証人になったのだろうかと自問した。
多くの人が「私はシャルリ」を、他者の思想によって自己を奪われて一時的に人格を喪失したエピソードとして生き、イデオロギー的な二日酔いに行き着いた。