EU・ヨーロッパ統合の政治史~その成功と苦悩(3月放送分)」

EUに成立に対して、反対の立場を貫いたサッチャー首相。1960年代にドゴールが欧州統一に対して反対した役割と非常に似通ったものだった。彼女は市場統合には賛成したが、通貨統合や外交安保の局面の統合となると許容外のテーマとなった。
 
2000年に入り、欧州憲法条約の制定を目指す。当時の加盟国25カ国すべての政府が調印していたが、2005年のフランスとオランダの国民投票による批准に対する承認失敗をきっかけに挫折する。しかしそれは現行のEU条約であるリスボン条約にその条文の多くが受け継がれている。
 
リスボン条約では、国民投票アイルランドのみであった。1回目の投票では否決されたが、2009年の第二次国民投票により賛成派が多数となった。
リスボン条約により、理事会では多数決が常態となる。通常の国際機関は全会一致が議決方式である。
また欧州議会は立法発議請求権を得る。
これらによりEUが連邦的組織となっていく。
また外交安保部門の深化も進んでいる。(EU外交安保政策上級代表の設置など)
 
ギリシャ危機は、EUで金融と財政の権限が分裂していることによる。財政の危機を監視する機能はあったが、それが十分機能してこなかった。
 
加盟国内の自由移動による、加盟国とEU機関間の緊張が生じている。
 
欧州議会では、将来的にはEU全加盟国を単一の選挙区とする超国家的議席を創設する案を温めている。もしこれが実現すれば、純粋に欧州の利益を代表する候補者が選出されることとなる。
 
欧州連合」という日本語訳は、その本質と到達点を一方的に連合と固定してしまっている。連邦的統合に向かっているEUの豊かさを表現していない。