ローマ人の物語ⅩⅤ ローマ帝国の滅亡

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紀元410年の「ローマの劫掠」後の立ち直りには、少なくとも7年間は要した。
しかし皇帝ホノリウスの帝位は安泰。
これは皇帝の力ではなく、ガリア地方が蛮族間での共食い状態になったおかげ。
さまざまなゲルマン系の蛮族、更にはブリタニアのローマ兵までがガリアの地を荒らしまわる。
更に北アフリカまで勢力を伸ばすヴァンダル族
そして西ローマ帝国では、二人の軍司令官による内戦。
それに勝ったアエティウス。
その後20年間、彼の時代が続く。
フン族との良好な関係、蛮族同士の戦いなど、彼に有利な状況が続く。
そんな中、暴れ回るアッティラ・ゾラ率いるフン族東ローマ帝国は、彼の希望を受け入れざるを得ない状況。
そしてガリアの地における、アエティウスとアッティラとの戦い。
アエティウスが勝利するが、なぜかアッティラをみすみすと逃がしてしまう。
とすると、今度はイタリアに侵攻するアッティラ
北イタリアの惨劇。結局、ローマの元老院議員と司教が、交渉の末、お金の力で、アッティラにお引取り願う。
翌年、アッティラ死去。
その翌年、フン族の脅威を感じなくなってから、皇帝ヴァレンティニアヌス3世とアエティウスが会う。
そこでアエティウスを感情のおもむくまま殺してしまう皇帝。
皇帝にとっての、大切な右腕を、斬ってしまった。
その皇帝も、結局アエティウスの部下に殺される。
その隙を見届けての、再び、455年のローマ劫掠。

最後の20年、皇帝がころころ変わり、本当の末期症状となる。
そして最後の皇帝、ロムロス・アウグストゥスの退位後、誰も帝位につかなかった事により、歴史上は、この476年が西ローマ帝国滅亡となる。
もし、当時住んでいた人に聞いてみると「いつ滅亡したのか」あるいは「まだ存続してたのか」との回答がかえってくるような、ローマ帝国の滅亡だった。