ドイツ・北欧・東欧の古城

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世界の城郭  ドイツ・北欧・東欧の古城(新装版)
太田静六 著
2010年(平成22年)11月1日 新装版第一刷発行
 
題名では、ドイツ・北欧・東欧となっているが、掲載スペースが多い国は、スイス、ドイツ、(旧)ユーゴスラヴィア、イタリアとなっている。東欧は、著者の調査時は社会主義の時代だったため、なかなか訪問が困難だったようだ。
 
現在のドイツなどのエリアであった神聖ローマ帝国。そのオットー大帝はローマ教皇と結び、司教を開放し司教領を新設した。そして司教は諸侯と同じく土地や人民を所有し、その結果兵力や城郭まで持つようになる。そしていわゆる司教城郭なるものが現われる。
 
フライブルグの門、シュバーベン門。
高塔を伴った門はドイツ特有の形式。これはドイツ人が持つ昇高性を好む結果の現れと言える。
 
著者がポーランドを訪問したのは1970年。普通のホテルを見つけてカウンターに行くが、顔を見られるなり満室といわれる。その当時、外人を宿泊させることは当局から禁じられていた。
仕方なく一流ホテルに行くと、そこは普通に予約で満室だった。仕方なくロビーで泊まろうとしたが、たまたま日本人に出会い、その人の部屋で泊めてもらった。
 
古くて新しい国のギリシャ古代ギリシャは単に都市国家の集合体というだけ。実際の独立は1830年となる。よって中世から近世にかけての城郭はギリシャを支配した者によるものとなる。
 
ミラノのスフォルツエスコ城。ルネサンスの建築家を招いて造成されたミラノ城は純戦闘的な城郭でなく、宮殿的色彩をおびた城館でもあった。外観は城郭的で、内部は宮殿的。外部には周濠も見られる。
(実際自分がそこに行った時、正面から中を通って、裏の周濠を見たとき、ああここも城なんだなと実感した記憶がある)