パルテノンとギリシア陶器

イメージ 1
パルテノンとギリシア神殿
世界美術双書003
関隆志 著
1996年3月25日 初版第1刷
 
1687年9月26日パルテノンに砲弾が命中し、火薬庫に引火。神殿を破壊しつくす。
それから300年以上経った1983年にアクロポリス文化財保存国際会議が開かれ、パルテノンの修復について話し合われる。
文化財の破壊は、戦争、地震だけでなく、我々の生活そのもの、つまり大気汚染による酸性雨や、観光客自体も破壊への加害者となっている。
 
パルテノンは神殿でありながら祭壇がない。またアテナ神殿の役割が遅れて建つエレクテイオンに継承された。
これらのことから、パルテノンは宗教建築としての性格は脆弱で、「全ギリシャが追うべき理想の顕現」の一つの象徴的建造物としてアテナイの力を誇示していたと考えられる。
 
ギリシャの絵画史における史料としての陶器は、時代的に紀元前10世紀におこる幾何学文様から始まる。
ギリシャ美術の特徴は神々と英雄を人間の理想の姿として図像表現する「神人同形主義」である。
陶器においてもそのような登場人物により華やかな物語が描かれることとなる。
 
幾何学様式(前1000~700年)
線を中心とした図柄
東方化様式(前700~630年)
エジプトやオリエントの出会いにより、東方化の影響を受けた図案が登場する
アッティカ黒像式(前630~480年)
赤色のつやのある壺の表面に人物像を黒く上塗りで描きだし、細部や模様は刻線で描かれる
アッティカ赤像式(前525~400)
黒像式とは逆に、背景を黒く、人物像を赤くする様式。それにより筋肉や骨格、細部が実線で描かれるようになり、壺絵の絵画性が飛躍的に高まることとなった。
 
幅の大きく平べったい杯は一方の取っ手を上にかけて保管されていた。壁に架けられた視点で造られた杯も多い。