柳田國男全集4 遠野物語 山の人生 など

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柳田國男全集 4
ちくま文庫
1989年11月15日 第二刷発行

この巻では、「遠野物語」「山の人生」「史料としての伝説」「山人外伝資料」「山神とオコゼ」「木地屋物語」など山の民を中心とした編集になっています。
このうち、遠野物語と山の人生は岩波文庫で愛読してきましたが、他の作品や解説で、更に理解を深めることが出来ました。

遠野物語(解説より)
この物語を評して、「データそのものであるが、同時に文学だ」と言ったのは、三島由紀夫
柳田と佐々木喜善とのはじめての出会いの夜、柳田は既に口碑の記録を「遠野物語」として構想していた。一方喜善は自らの話を「お化話」と日記に記していた。
二十二話 
くるくる回る丸い炭取りを「現実の転位の蝶番(ちょうつがい)」として絶讃している三島。
柳田はあくまで出来事の細部にこだわっている。それを支えているのは怪異だけでなく、怪異の出現した現実の状況総体にに向けられた全体的な関心である。

山の人生
序文の代わりと言うべき第一話「山に埋もれたる人生あること」
山の中での二つの悲劇的で奇妙な事件
やはりこれもデータであるが、同時に文学。

山人考
大正六年の講演手稿
大正二年の「山人外伝資料」を読むと、山人考への道筋がよくわかった。

史料としての伝説
木地屋は山中の樹を伐って、轆轤(ろくろ)をもって椀類の木地を製作する特殊の工人
郷里は伊勢に境した東小椋村だが、大部分は数百年以前から郷里を離れて原料の豊かな諸国の山に分散して住んでおり、あるいたって珍しい組織をもって、常に故郷の村との連絡を保っていた。p268

日本で今歴史家といわれる人の二分通りは、つとめて伝説を信ぜんと欲する人。他の八分通りはこの幣に鑑みた結果、これを史料の敵のごとく心得て、その説くところが何を意味するかをも、考えてみようとせぬ人である。そんな態度は双方ともいけないから、自分はこれに与しない。p317
耳で考える方面が残されていた。
村落に文字のなかったのは近い頃までで、口から耳への伝承は、実は文字に数十倍していたのである。
我々はまずこれを保存するの術と、次にはこれによって教えらるる方法とを学ばねばならぬ。p318

比丘尼石の話 より
姫路の城の姥石は、現に絵葉書もできているくらいの一名物であるが、これがまた中凹の、ちょっと石の枕といってもよい石である。今でも城の石垣の間に置いてある。加藤清正この石垣を築く時、積んでも積んでも一夜の中に崩れ、当惑の折から、名も知らぬ老婆現れ来たり、臼のような小さい石を一つ、石垣の上に置いたら、それから無事に積み上げることが出来たと、現今では説明されている。p362-363
(長谷川安治の故郷見聞録によるものとのこと。今では秀吉による城づくりが始まったころの言い伝えになっている。役に立ちたい老婆が秀吉に石臼を差し出し、秀吉は喜んで石垣の間に使った。それ以後労働や資材の提供を申し出て、工事は順調に進んでいった、という話になっている。伝説も時を経るとかわっていくという例なんだろうか)

山人外伝資料
「拙者」という人称を使って、やたらはりきって書いてる柳田さん
「かのタシタスが日耳曼(ジエルマン)人を描いたと同様なる用意をもって、彼等の過去に臨まんと欲するのである。」
(タキトゥスゲルマン人のことだろうか)