柳田国男「山の人生」冒頭の炭焼き一家心中事件関連年表

遠野物語 山の人生 柳田国男著 表紙

 

明治35年2月 
柳田国男は法制局参事官となり、特赦の事務も取り扱う。
明治37年4月6日 事件発生
明治37年4月9日、10日、12日、5月5日、14日
岐阜日日新聞が事件を伝える。新聞では、事件の動機は「貧苦の末、飢餓に迫って余儀なくのことである」となっており、後に「新四郎さ」に書かれるような、「主家からの嫌疑」については全く書かれていない。
明治39年3月 
事件の当事者である新四郎(仮名)特赦を受ける
明治39年3月13日
『定本柳田国男集』の「柳田国男年譜」のこの日に「美濃郡上の深山で子供を殺した山番の老人の特赦がある」との記述あり
明治39年3月24日
岐阜日日新聞が刑期満了前に仮出獄を許されたことを伝える
大正14年2月 
アサヒグラフ』に「山の人生」の連載をはじめる
昭和9年前後 
「新四郎」が金子信一に事件の打ち明け話をする
昭和15年 「新四郎」死去
昭和33年1月9日~9月下旬
「故郷七十年」の連載。この中で柳田は「山の人生」のこの事件について触れている。
昭和49年
金子貞二が金子信一からこの事件の話を聞き、さらに「新四郎さ」として『奥美濃よもやま話 三』の中に著す。

(主に「柳田国男と事件の記録」より)