若き福澤諭吉も泊まった「ルーヴル・デ・ザンティケール」

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1862年4月7日、文久遣欧使節団の一行はパリに到着する。
その使節団には若き日の福澤諭吉も反訳方として随行していた。
その時彼らが泊まったホテルが「オテル・デュ・ルーヴル」であった。
パリの中心地パレ・ロワイヤル広場に位置し、五階造りで六百室もある「広大な家」だった。
ナポレオン三世1855年パリ万国博覧会に世界中からやってくる賓客用ホテルとして、フランスの威信を天下に知らしめるために建設させた、当時世界で最高級のホテルだった。
この一階には当時としては極めて珍しかった高級ブティックがあった。
その後、デパートに模様替えした途中経過を経て、建設から約一世紀後の1978年には約二百の骨董店が出店する「ルーヴル・デ・ザンティケール」に変貌した。
さらに2016年現在、改装中で、諭吉らが宿泊した当時の雰囲気は時空の彼方に消え去りつつあるが、建物自体の外観や外郭はほぼ手付かずのままだ。
入り口の吹き抜けになった高い天井やその上の鮮やかなステンドグラスをはめた丸い天窓、太い大理石の柱は今後もそのまま遺されるそうで、諭吉らが宿泊したころの残り香は永遠に遺されそうだ。
パレ・ロワイヤル広場には現在、同名のホテルがあるが、一行の宿泊ホテルとは無関係だ。

以上、山口昌子著「パリの福澤諭吉 謎の肖像写真をたずねて」からの引用です。
この巨大な長方形の建物、ルーヴル・デ・ザンティケールは自分にとって大変思い出深い場所なのですが、このような歴史があるとは全く知らなかったです。
若き日の福澤諭吉がこの地を起点に強い好奇心をもって、様々なものを吸収したのかと思うと、感慨もひとしおです。
改めて、パリに居れた幸せを実感しました。
(画像はグーグルマップからです)