ゲーテ「イタリア紀行」を旅する

イメージ 1

ゲーテ「イタリア紀行」を旅する
牧野宣彦 著
集英社新書ヴィジュアル版
2008年2月20日 第1刷発行

「イタリア紀行」は、ゲーテの訪れた場所の写真が無いと読むのが難しい、と実感したのが本書を書こうとした動機とのこと

ゲーテがワイマール公国の重要官僚という地位にありながら突然イタリアへ出発した理由
1  シュタイン夫人との肉体を伴わない愛が行き詰まったこと
2  詩が書けなくなったこと
3  政治家として限界を感じたこと

ゲーテは几帳面で目的を決めたら用意周到に準備する性格。まず職務に支障をきたさないように準備し、旅行に出発してから、アウグスト公に期間未定の有給休暇を申し出た。ゲーテが打った人生最大の博打だった。そしてゲーテは見事にこの賭けに勝った。

ゲーテヴェネツィア海狸(ビーバー)共和国と表現している。ビーバーの他の動物にはない不思議な建設能力を見ると、ゲーテはかなりこの動物の習性に熟知した上で、こう表現したと推測される。

ゲーテの「若きヴェルテルの悩み」はイタリアで没収されたりした。その作者がカトリックの総本山であるローマにいることを教皇庁に知られないように心がけていた。そのような理由でゲーテはローマの社交界に顔を出さず、偽名を使って行動していた。

ゲーテナポリへ行った最大の理由は、ヴェスヴィオ火山の爆発をじかに見たかったのではないかと著者は推測している。そして実際にヴェスヴィオ火山になんども登山している。

ナポリのカポ・ディ・モンテ美術館にはゲーテと行動を共にした画家、クニープの作品も展示されている。その作品はヴェスヴィオ火山が夜空に火を噴いている絵画だった。

ローマからの帰路、シエナフィレンツェ、ミラノなども訪問している。しかし著書はローマで終わっている。
ローマについてゲーテは、「ローマでぼくは初めてぼく自身を発見し、初めてぼく自身と一つになり、幸福にまた賢明になった」と総括している。それ故「イタリア紀行」はローマで終わらなければならなかった。