ゲーテさん こんばんは 池内紀 著

ゲーテさん こんばんは 池内紀 著 表紙

 

ゲーテさん こんばんは
池内紀 著
集英社 発行
2001年9月10日 第1刷発行

ドイツの文豪ゲーテについて、一般的なイメージをくつがえすように、楽しく、面白く書いています。

1765年、16歳のゲーテライプツィヒ大学に入学 
ギリシャ語、ラテン語、フランス語、イタリア語に堪能で英語もできた。地理、歴史、博物学に詳しい。ピアノが弾けて絵が上手。ダンスと乗馬は玄人はだし。一字の乱れもない見事な筆跡 p7
ヨーロッパの18世紀は「啓蒙主義の時代」で、言いかえれば教育ブームの世紀だった。
また父親は資産家で、その人生は財産の管理と、我が子の教育に費やされた。

 

ファウスト」はゲーテ畢生の作といわれている。二十代で書きはじめ、二部仕立てを完成したのは八十二歳のときだった。
厳密にいうと、さらに十年近くさかのぼる。十代の半ばすぎ、食堂の娘をうたった愛の詩のなかに、すでにその原型がある。p16

ゲーテの『若きウェルテルの悩み』
ゲーテ二十五歳、1774年の大ベストセラー
ウェルテル熱が去ってもそれは読み継がれ、名作となり古典になった。
世界中の言葉に訳されたし、今もなお繰り返し訳されている。
(以前この作品をブログ(当時はYahooブログ)で取り上げた時、イタリア在住の方から、息子さんがちょうど地元の高校で読んだ、というコメントを頂いていました)

 

『若きウェルテルの悩み』が大ベストセラーになった理由
・書簡体というスタイル
折しも手紙が新しいメディアとして晴れやかに登場した時代
・不幸な恋の発見
愛の浄化と救済にあたり、不幸な恋が幸福な恋以上に大きな力を持っている。

原理的に不幸な恋は、愛し合う二人にとっても幸せである。双方がひそかに、不幸な恋を、楽しく思い出すことができる。
その永遠の恋人ばかりは、ベッドでいぎたなく眠りこけたり、年と共に下腹がぶざまにせり出したりしないのである。p46

 

ふつう旅行記は、あまり印象が薄れないうちに発表されるものだが、ゲーテの『イタリア紀行』は違っていた。
旅行から三十年以上もたった1817年に刊行をみた。37歳のときの旅を68歳になって世に出した。しかも『イタリア紀行』第二部にあたる第二次ローマ滞在は80歳近くになってようやく増補の形で陽の目を見た。
この点、『ファウスト』とよく似ている。p86

 

『イタリア紀行』はまずイタリア旅行の最中に、手紙として友人や知人に送られた。
手紙はかつては私信のかたわら公開書簡といった役割をもっていた。情報を伝えるミニコミであって、受け取った側も私有せず、早速夜のサロンなどで公開した。
『イタリア紀行』は、このような手紙を元にして出来た。しかし、相手方に行ったはずの手紙が、どうしてゲーテの著作となったのか?
書いた当人が同じ手紙を持っていた、つまりはコピー、控えをとっていたからだ。

ヴェスヴィオ火山の噴火やサー・ウィリアム・ハミルトンの美女エンマ・ハートや山師カリオストロなど、早く現場から通信を送りたかった。

 

ゲーテの生まれた1749年から死の年である1832年までを、ためしに世界史と引き合わせてみると、奇妙なことに気がつく。ゲーテの青年期から壮年期にかけて、二つの大事件があった。一つはアメリカの独立戦争と合衆国の誕生であり、いま一つはフランス革命と共和制の成立である。いずれにしても自由と革新の気運がみなぎっていた。
一方、ドイツはどうだったか?この間、とりたててしるすべきことは何も起きていない。何も変わっていない。相変わらず二十あまりの国にわかれ、旧態依然とした宮廷政治が続いていた。p136
個性と能力に対して、社会はそれを受け入れるシステムを持たない。いかなる活躍の場も与えない。とすれば外界から意識的に目をそむけて、内部にひきこもるしかない。ゲーテはしばしば「内的社会」という言葉を口にした。それはまた時代の合言葉というものだった。p138

 

ゲーテは町づくりに熱心だった。
ゲーテがしげしげとラテン河畔のマンハイムに足を運んだのは、ひそかな恋人のためではなく、そこに都市づくりの手本があったせいではあるまいか。
今もマンハイム旧区には通りに名前がない。A6・5とかM2・4とかといった具合に標示されている。
マンハイムは18世紀に生まれた人工都市である。ゲーテのころは、まだ星型をした外壁をもっていたが、その中を碁盤目に仕切ってブロックにした。p186-187

あとがき
イタリア遊歴の記録である『イタリア紀行』を、私はとびきりすてきな「地球の歩き方」だと考えている。旅に出るとき、いつもリュックの底にしのばせていく。p252
(晩年の池内さんのインタビューの中で、イタリア紀行の翻訳を出したいと言っておられたのを思い出します。実現しなかったのが残念)