イタリア紀行(中) ゲーテ著

イメージ 1
 
イタリア紀行(中)
ゲーテ 著
良守峯 訳
2007年5月15日 第53刷発行
 
1787年2月および3月、ゲーテナポリに滞在する。
たちまちゲーテはその魅力に魅了される。
「人々がなんと言おうが、語ろうが、また絵に描こうが、この景観の美はすべてにたち超えている。海の渚と湾と入り江、ヴェスヴィオ、市街、洛外、城砦、遊楽場・・・」
「父が今日私の初めて見た事物から、とりわけ不滅の感銘を受けたことを、しみじみと思い起こした。・・・父はしょっちゅうナポリのことを思いこがれていたために、全く不幸になりきることが不可能であったということができる。」
 
ヴェスヴィオ山の危険ゆえに心を引かれ、噴火と噴火の合間に円錐峯を登って噴火口のところまで行き、更に同じ時間中に戻ってくるゲーテ。結局ヴェスヴィオには三度登ることとなる。
 
フィランジェーリの屋敷の毒舌家の公女。
イギリス公使のハミルトンの家にいる20歳くらいの、ギリシャ風の服を着たイギリス婦人。
ナポリの不思議な女性たち。
 
シチリアへの船旅。無風や潮流に影響され片道四日くらいかかっている。特に帰りの便では混乱する。無秩序というものを死より嫌うゲーテ、騒ぐ乗客たちに静かにマリア様に祈れと話しかける。
 
フォルクマンの案内書に、ナポリには3万から4万の徒食の輩がいると書いてあったので、その真偽を確かめるため、街中の混雑している場所に陣取り観察するゲーテ
結局大部分は職業の目印を備えていることを発見する。そして意外と勤勉に働く人が多いと主張したいくらいになる。ただし北方人との勤勉と比較するわけにはいかないが。
南方の、あらゆるものを与える気候によって、犬儒学派の哲学者なども存在しえたものである。