林芙美子 巴里の恋

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林芙美子 巴里の恋
編者 今川英子
2001年8月7日 初版発行
 
この本は、林芙美子さんの巴里時代の小遣い帳や未発表の原典の日記(以下原日記と書きます)等および著者による解説を掲載しています。
先日「下駄で歩いた巴里」を読んだばかりということもありますが、この本は原日記を通してパリにおける林さんの男性関係の謎を探索する内容にもなっており、さらに興味深くなっています。
男性関係など、不謹慎だと思われるかもしれませんが、作家の場合、その経験が後の作品に反映されていることが多く、文学者研究には必須のものなのでしょう。まあそれでも、ドキドキはしてしまいますが(笑)。
まずこの原日記なのですが、もともと非公開の物なので本音で書かれています。それゆえ自分だけでなく他の人物に対しても率直に書いているなあ、という部分もあります。
またこの原日記は、途中で日記帳の4月25日から6月末までが明らかに故意に、破られていました。後世に残したくない部分とも考えられます。
一方作品として外に出す日記は、他人の批判や自分に都合の悪いことはあまり出てこないようになっています。それゆえ日記といえども創作作品になってしまいます。
この前に読んだ岩波文庫の「下駄で歩いた巴里」では「春の日記」と題されて巴里時代の日記を載せていたのですが(いわゆる「滞歐記」と著者の方がこの本の中で書かれているものの一部と思われる)、内容も微妙に異なりますし、途中の日付の省略もありません。
この点において著者は、もともと書いた日記を基にして、作品用の日記やそのほかの小説を書くことにより、実際のディープな部分を作品として昇華させる作業後、原日記においては、自分の思いを断ち切るため、一部を裁断して捨てた、と推測しています。
原日記の何気ない裁断のあとも、作家の心の葛藤が垣間見えて、女の性の恐ろしさを感じる一方、作家としての尊い魂も感じます。
 
原日記の精読を通して、いろいろなことがわかってきました。
まず林さんは夫がいるにもかかわらず、やはり外山さんという男性が一番の目当てで巴里に渡航した、という通説が正しいのでは、としています。
また逆に巴里で林さんに恋焦がれたが、つれなくされた男性も、その人には気の毒ですが、原日記の中では明確に出てきます。
そして林さんと深い関係になった白井という男性の存在が明らかになります。
よく原日記や「春の日記」の中で、Sさんという近しい男性として、よく出てきます。そして原日記で裁断された部分の日付を「春の日記」で読んでみると、フォンテーヌブローやバルビゾンに行ったと書かれています。ただここでは誰と行ったとはまったく書かれていません(日本語の便利なところですね)。そしてお金が無いと常に訴えている割には、そこそこいいホテルに泊まったりしています。
それ以外の手がかりを見ても、このときに白井さんと一緒に旅行に行ったのでは、という説は説得力があります。そして裁断された原日記には、白井さんとのそのときのことや、その後の想い等々がつづられていたのではないか、と推測しています。
ちなみに4月25日は「春の日記」の方では、「昼よりS氏薔薇の花を沢山白い箱に入れてお見舞いに来てくれる」とありました。
 
その後の林さんの小説でも、白井さんらしき人物をモデルにした作品があり、林さんの思いも見事に昇華されているようです。
そして白井さん側も、ご本人は建築家なのですが、その後自作の建築物に、林さんの作品名に同じな「浮雲」と名づけているものがあり、林さんに対する秘かな思いが垣間見えてくるようです。
この本のように研究者の方が解説してくださると、何気ない日記文でも、その文章や行間から、作家とその周りの人間模様、そして錯綜する想いが、鋭く伝わってくるような気がします。