フランス中世の文学生活

f:id:jetmk43:20220417083049j:plain

フランス中世の文学生活 表紙

 

フランス中世の文学生活
ピエール=イヴ・バデル 著 
原野 昇 訳
白水社 発行
1993年5月31日発行

(中世においては)教会が文化を独占しており、それを
修道院付属学校、ついで
司教区付属学校(11世紀)、そして
大学(13世紀)において伝授していった。p47

百年戦争のさなかに書かれた『パリ一市民の日記』は、たとえば物価の値上がり、貨幣価値の下落、食料品の不足など、日々の生活の細やかな出来事を書き留めている点で大変貴重な史料であるが、そのような現実を乗り越えるために総括を試みるといったような点はみじんも見られない。p60-61

ロベール・ド・クラリはコンスタンチノーブルに魅了され、またワラキア地方の近くに住むクーマン族の風習に興味を寄せている。p61

 

聖職者の教養は教会の教えに由来する倫理だけでなく、古代人の智恵から学んだ倫理にも依っている。
このような聖職者は、自分たちが古代作家の後継者であることを自認している。
いうところによると、学問はアテネに生まれ、ローマに渡り、今はフランスあるいはイギリスにある。中華思想は今に始まったものではないのである。
ベルナール・ド・シャルトルをはじめ、彼らは次のように言っている。「巨人(すなわち古代作家)の肩に乗った小人であるわれわれは、彼らよりもよりよく、より遠くまで見える。それはわれわれの視力がより優れているとか、われわれの方がより背が高いからではなく、彼らがわれわれを支え、その巨大なる背丈の上に高く持ち上げていてくれるからである」p82-83

 

われわれが読む中世作品には、自分の想像力による着想または公衆の期待に対して、初めに作品の形を与えた人、その後それに修正を加えた人、記憶に頼る語り手、写字生の介入または不注意、最後に19世紀、20世紀の校訂者の校訂方針、などが関与している。
その中で、ジョングルール(旅芸人)と学僧が重要な役割を果たしている。p111

トゥルヴェール
狭い意味では伝統的にトゥルバドゥールの北フランスにおける模倣者、すなわち恋愛歌(シャンソン・ダムール)の作者。抒情詩人
広い意味では作者一般
p114

 

キリスト教の権威的作家と世俗の著作家
最初の権威的作家といえば聖なる書の作者
モーセモーセ五書』、ダヴィデ『詩篇』、ソロモン(知恵の書)、使徒(聖パウロ)、『黙示録』
万人が認めるその他の著作家といえば教父
聖ヒエロニムス、聖アウグスチヌス、聖グレゴリウス
非宗教的権威的作家
キケロセネカホラティウス、オヴィディウス、ウェルギリウス、スタチウス、ユヴェナリス
文法家
ドナートゥス、プリスキアヌス
p142-143

 

今日、常套句(リュー・コマン)といえば平凡ということになるが、その元の意味はそうではなかった。
修辞学の教本によればリュー・コマンというのは、雄弁家がいつでも好きなときに利用できるように、弁論の論拠を集めたものであり、それらの論拠はどんな問題にも通用するものであった。
あらゆる雄弁家は弁論の冒頭で、自分はこの問題を論ずるに値するだけの資格がないというが、それも常套句である。p148

中世の言葉の遊び
「填め込み」
脚韻や音節数など非常に厳密な詩法が守られていたり、完璧な統語法に従って文が構成されているところに、意味がそれらとは全く無関係な語を填め込むこと
たとえば諺、猥褻な言葉、動物の名前、文学的暗示、恋愛の暗喩など
p268

 

ユマニスムとは「古代」を認識することと定義すれば、中世は古代をよく知っており、古代を滋養として自分の肉体としていた。
十四、五世紀にはラテン語作品の翻訳物が増大する。p285

 

付録 中世作品の校訂
中世の作品はひとえに写字生たちのおかげで、今日われわれの手元まで伝わってきている。
その過程での変更が不注意や物理的要因であるとは限らない。
写字生は誰でも、潜在的意識においては、作家であり修正者である。
実際テクスト変更の第一の理由は、写字生が顧客を満足させようと注意を払っているところにある。
写字生が廃れた語や語形や表現を捨てて時代に合ったものと取り替えたり、綴りや語形も、写字生やその顧客の住んでいる地方の方言に固有の形のものが用いられる。p287-288

原作者たちの言語はその出身地に関係なく、共通の文学語で書いていたという驚くべき事実。
十二世紀末のこの共通語はフランシアン方言を基本とし、ピカルディ方言など他の方言に特徴的な発音や語形が若干含まれていた。p293