ラファエッロ 幸福の絵画

イメージ 1

ラファエッロ 幸福の絵画
H.フォシヨン 著
原 章二 訳
平凡社

このところ、ラファエッロが気になってしょうがなかった。
彼の聖母子像を見て「なんでこの人はこんなに優しい絵を描けるんだ!」と不思議でしょうがなかった。
そんな疑問に対して、一つの回答を与えてくれるのがこの本である。
まず第一章の中で、「この若者の生涯は伝説にもひとしい。悲しみの情景に満ちみち、至福の思い出にあふれている。」とか
「醜い皺一つ知らず、青春の花が萎れる前に、この世から足早に立ち去ったラファエッロ。残された作品は、一点のけがれもない若さの前に湯浴みしている。」などと賞賛に満ちている。

ラファエッロは1400年代(クアトロチェントという語感がいい)の暮れ方に、その喧騒から離れたウルビーノに生を受けている。
そこで美しい空の下、教養ある人々の中で過ごす事が出来た。
そしてペルジーノでの柔軟な感性と開かれた心。
さらにミケランジェロダヴィンチが「混乱と暴力の中で天賦の才を発揮している」フィレンツェでさえも、精神的な調和を保った。
そしてついにローマ。
ユリウス二世という恐るべき男が支配する場所。
しかしそんな彼のもと、偶然にも「古代遺跡の土台の上で、(ある意味での)人文主義が建築された場所」となった。
ローマでラファエッロは「孤独な聖母の詩人が、モニュメンタルな大群衆の指揮者」となり、「アテネの学堂」などの作品を完成させる。

そんな彼は、37歳で天に召される。
そして「ヴァチカンは裂け、廃墟となり」、イタリアは永遠の寡婦となった。
ラファエッロは無垢の青春、人生最初の開花期を生きるように運命づけられてきたのであった。