ローマ帝国の隣で力を持つペルシャ。
皇帝コンスタンティウスは、ペルシャ遠征のため、副帝ユリアヌスの精鋭の兵士を送り出すよう依頼する。
それに対する兵士の不満。
そしてわきあがる「ユリアヌス 正帝!」の声。
内乱の危機。しかしコンスタンティウス、病に倒れ、自らの手を血で汚すことなく帝位につく。
まず行った、リストラ大作戦。肥大した官僚機構の縮小。
そしてローマ帝国民の信教状態を、「ミラノ勅令」に戻す。
それにより、あらゆる信仰が再びその存在を公認される。
しかしその後の中近東の騒乱。
「ミソポゴン」という書に、苦い思いをつづるユリアヌス。
その後のペルシャ戦役。
激戦のさなか、363年、31歳と3ヶ月の人生、そして皇帝として1年と9ヶ月の在位を終える。
時代の流れに逆行するような宗教政策。
「背教者」とも言われるユリアヌス。
しかしそれは単なる時代錯誤ではなかった。
一神教の利点だけでなく、弊害にも気づいていたゆえ、ではないかとも、思われている。