いよいよラファエッロの間に入ります。
まずはコンスタンティヌスの間です。
この部屋の絵画は、ラファエッロにより描かれたものではなく、弟子であるジュリア・ロマーノなどによって描かれたものです。
それゆえ、ラファエッロ独自の「明快な美しさ」は無い様に思えます。
この戦いにコンスタンティヌスは勝利し、ローマに入城しました
それ故ヴァチカンにとっては、大恩人とも言え、後世においても部屋にその名前を使用し、栄光を讃える絵画を描いたのでしょう。
皇帝に対する反乱や謀殺などが多発し、その地位は極めて危ういものとなっていました。
そこで皇帝という位を、「人間の信任を受けた地位」ではなく「神の信任を受けた地位」にして、少しでもその地位を確固とするものにしたかった、といえるでしょう。
そのために、勢力を強めつつあったキリスト教の司教と持ちつ持たれつの関係で、権力基盤を強めていく考えがあったようです。
その結果、ローマ帝国自体は寿命を延ばしても、その性格は変容してしまいました。