ディオクレティアヌス退位の後、四頭政は殆どもたなかった。
東西正帝・副帝プラス、前正帝や前皇帝の実子も名乗りを上げ、6人で争う混乱状態になってしまう。
まず正帝リキニウスと副帝コンスタンティヌスが手を結び、マクセンティヌスを敗北に追い込む。
そしてローマ入りしたコンスタンティヌス、正帝に昇格し、凱旋門まで建造される。
しかしまもなく、リキニウスとの同盟関係は早くも崩れ去る。
コンスタンティヌスは戦いに勝ち、リキニウスを引退に追い込み、1年程して彼を死に至らしめる。
そしてコンスタンティヌスが唯一人の最高権力者となった。
彼は新しき首都、新しき政体、そして新しき宗教による、新生ローマ帝国を打ち立てる。
まず首都はビザンティウムに建設する。
そして元老院を実権のない、名誉職的なものにおとしめす。
そしてキリスト教を公認である。
325年のキリスト教の会議、「二ケーア公会議」にて、いわゆる神とその子イエスと聖霊が同意であると決定され、それを認めなかった派は異端となる。
この異端と呼ばれる説では、イエス・キリストとプラトンが似たようなものになるという意見が興味深い。
つまり真実への道を説き、自分の考えに殉じたという点だ。
しかしイエスの方は、たとえ論理的とはいえなくても、復活し昇天することで「不可知」となったことにより、救済を象徴した事となった。
そして他の人間にも救済の希望を与え、それがキリスト教の発展につながっていったのである。
ある人の言葉に「ローマ人は三度、世界を支配した。初めは軍隊によって、ついでは法律によって、そして最後はキリスト教によって。」
そうして延命したローマ帝国だったが、その性格は全く異なるものとなってしまったのであった。
(写真はカピトリーニ美術館の「コンスタンティヌス帝頭部像」です。たくましい面構えが印象に残ります。)