ブールジュのサン・テティエンヌ大聖堂の狭い正面広場

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サン・テティエンヌ大聖堂のファサード
ブールジュのサン・テティエンヌ大聖堂の後方側面から前方に回ってきます。
大聖堂のファサード全体をカメラにおさめようと思ったのですが、正面の広場からでは無理でした。
仕方なく、少し路地に入ったところから、大聖堂の半身を捉えます。
フランスの大聖堂正面の広場は広い印象があったのですが、ここブールジュやルーアン、そしてストラスブールのそれは狭く、ファサード全体を写すのは無理でした。
残念な面もありますが、大聖堂建築時、中世はこういう感じに近かったようです。
というのも当時、家々や参事会境内などの関連施設が、大聖堂のそばに迫って、取り囲んでいたからです。
今風に言うと「密」の状態だったわけです。
しかしその後、宗教戦争や大革命、更に19世紀の都市改造により、周りの建物は取り壊されたりすることが多くありました。
宗教戦争や大革命においてはイデオロギー、つまり「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」的な思想により、そして都市改造においては文化財保護や「通気・衛生・安全」という第二帝政期のスローガンの実行という名目がまかり通ったのでした。
その結果、現在のフランスの大聖堂は、ぽつんと孤立した状態で居るパターンが多くなっています。
このブールジュの大聖堂も、後ろ側は庭園に囲まれているのですが、正面は別の建物が迫っている状態になり、中世の面影をかすかに残してくれています。