ユーラシア横断紀行

西域探険紀行全集1 ユーラシア横断紀行 表紙

 

西域探険紀行全集(全15巻別巻1)
第1巻 ユーラシア横断紀行
訳者 水口志計夫
発行所 白水社
1966年11月5日 発行

この巻は、イギリス人トーマス・ウィリアム・アトキンソン(1799-1862)により書かれました。原題はTravels in the regions of the upper and lower Amoor and the Russian acquisitions on the cofines of India and Chinaーwith adventures among the mountain Kirghis ; and the Manjours, Toungouz, Touzemtz, Goldi, and Gelyaks : the hunting and pastoral tribesとなっています。
この著者アトキンソンは元来建築家ですが、水彩画をよくしたそうです。この巻でも、さし絵はアトキンソン自身の絵から彫刻した、多数の風景画が含まれています。
原著が出版された頃、中央アジアの探険は、イギリスがインドを根拠として、北に向かって範囲を広げていきます。一方ロシヤは、シベリアから南に向かって、またカスピ海から東に向かって、その勢力を進めていきました。
両国にとって争いの場になるであろう地域であり、この原著も当時、単なる紀行文以上のニーズがあったものと思われます。

本著はセミパラチンスクから始まります。1850年10月、新疆省の旅からアトキンソンはそこに着いたのでした。
本著の前半では、アトキンソンの足跡は、バルハシ湖とカラ・ターおよびアラ・ターとの間に限られています。過酷な自然状況が印象的です。
後半はアムール川に当てられています。その発端は買売城(マイマチン)から始まります。イルクーツクバイカル湖、ネルチンスクまでは旅行記の形をとっていますが、アムール川下りは紀行ではなく、地形の説明や歴史的事件の著述となっています。

 

1 サーカシアの囚人たちの逃亡
戦争の捕虜として、シベリアの鉱山で働くために送られていたサーカシア人が、シベリアの刑務所から、遠く離れた家に逃げようとした事件

2 キルギス人の中にあるロシヤの駐屯地
キルギスの魔神の墓

3 アジアの砂漠を横断する方法

4 ステップの銀鉱
チンギス・ター鉱山をめぐるキルギス人との交渉とお祭り

5 大オルダ内へのロシヤの最初の前進
大オルダ
族長のテント、行宮の意。かつてキルギス人は三オルダ(南部の大オルダ、畜群に適する地域の中オルダ、および欧露のロシヤ領に近い小オルダ)に分かれていた。p80

 

6 コラ川と伝説
コラ川沿いの直立する五つの巨大な石。魔神の墓。
(ギリシャ起源の伝説と全く同じ真実性を持った)キルギス伝説

7 コバルでのできごと
アヘンの喫煙が、金持ちのキルギス人のあいだの流行となっている嘆かわしいこと

8 コバルからの出発

9 地震で水のなくなった山の湖
アク・ター山脈や大峡谷、花崗岩でできた自然のアーチ、悪魔の洞窟などの光景

10 キルギス人の夏の牧草地への移動

 

11 隊商とコサックの道
ステップ上の蜃気楼と砂嵐
前者は幻の水を見せて喉の渇いた旅人をじらすが、後者は旅人の墓となるかもしれない。

12 スルタン・ティムールとジャンギール・ハン
スルタン・ティムールはステップの最も古い有名な家族の代表。彼の家系図の根源は、偉大なチンギス・ハンの家族の中にある。
19世紀のはじめ、有名な酋長ジャンギール・ハンが、カラ・キルギス人の種族を支配し、周囲のあらゆる地域で恐れられていた。

13 キルギスの駆け落ち
両家の息子と娘が結婚しようとするが、カルイム(ラクダや馬などの持参財産)が折り合わず、破談になる。そこで若い二人は駆け落ちするが、最後娘が虎に襲われ殺される悲劇。

 

14 隊商道路と買売城 
買売城は、その名の示すとおり、《交易の場所》

15 トランス・バイカルとアムール川の源

16 ケルレン川すなわちアムール川の本源  
ハバーロフ(生没年不明。17世紀におけるロシヤの探検家、実業家) 

17 アムール川上流 
アムール川のスヴェルビーフ岬。ロシヤの地理学者が犯した愚行。でこぼこした崖からその独特の名前を奪って、探険に従った若僧の名前という無意味な名に変えてしまった。p388

18 アムール川中流 

19 アムール川下流
ゴルド人、マングーン人などの原住民