柳田國男全集1 「海南小記」「島の人生」「海女部史のエチュウド」

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柳田國男全集1
ちくま文庫
1989年9月26日 第一刷発行

この巻では、「海上の道」「海南小記」「島の人生」「海女部史のエチュウド」という、海、そして島に関する著作をおさめています。

「海南小記」の自序、柳田はジュネヴ(ジュネーブ)の寂しい冬を回顧する。
そしてジュネヴでのそんな日の午後の散歩の時に思い出すのは、日本の海の島と、そこで行き逢うたいろいろの人と、その折のわずかな旅の日記だった。
そしてその時たまたま、沖縄の研究者であったチェンバレン教授もジュネヴに在住していたが、会うことはかなわなかった。

沖縄諸島の神女は、ことに沐浴を愛した。あたかも村々の祝女が霊泉によって、その清浄を保とうとしたのと同じである。
これに比べてやまとの島は水の恋しい地に、はからず清冽甘美なる泉を見出すことがあるが、そういう場合多くは弘法大師を説き、かつこれに配するに一人の老婆子をもってする。
あまりに彩色がくすんでいる。

八丈島流人帳
文政十年、人殺しで八丈島島流しになった近藤富蔵。綿密なる流人帳を残す
八丈島の流人は関ヶ原役の敗将軍、浮田(宇喜多)大納言の一家眷属をもって始まると伝えられるが、単に以前の記録がなかっただけということしか意味しないようである。

青ヶ島還住記
八丈島の東南に孤立無援する青ヶ島に、前代未聞の大噴火があって、八丈島に逃げてきた生存者とその子孫
それからさらに異常の勇猛心を奮い起こして、艱難辛苦を嘗め尽くした末、もとの島に還っていった。

島の数は異動する。
火山による増減
川口に出来た島
主陸と接続してなくなった島。大きな島はいつとなく主陸に併呑せらるるが、小さな島は人がわざわざ新田や潮除の堤塘のために引き寄せる。

海女部史のエチュウド
柳田さんの村(福崎)を流れる川(市川)はわずか一時間以内で大海の潮(播磨灘)にまじる。
村々には浜の若い男が生魚を担いできた。章魚(たこ)でも海老でも鰈(かれい)でも多くは活きて動いていた。
それでも海をはじめて見たのは10歳の春だった。峰づたいに北の村境の、いつも雨乞いの晩には松明をともして皆の登る山に登った。
…山が二つほど見える。あれが家島や、漁師の余計おる島やと、せっかく教えては貰ったが、ただ藍鼠色の、夢のかたまりみたようなものであった。何か白い影がその前を折々通るのであったが、それが帆掛船だという説にはまだ反対する者もあった。