パスカル著
「パンセ」 本文より
想像力。
これは人間のなかのあの欺く部分のことである。あの誤りと偽りの主であり、いつもずるいと決まっていないだけに、それだけに一層ずるいやつである。なぜなら、もしそれがうその間違いのない基準だったら、真理の間違いのない基準となっただろうから。
・・・
理性の敵であり、理性を制御したり支配したりするのが好きなこの尊大な能力は、自分があらゆることでどれだけ有力であるかを示すために、人間の中に第二の天性をつくりあげた。
絵画とは、なんとむなしいものであろう。原物には感心しないのに、それに似ているといって感心されるとは
(これを読んだとき、なんだか吹き出してしまいました)
虚栄はかくも深く人間の心に錨をおろしているので、・・・それぞれ自慢し、自分に感心してくれる人たちを得ようとする。・・・そしてこれを書いている私だって、おそらくその欲望を持ち、これを読む人たちも、おそらく・・・
(確かにこれを読んでブログに書くのも虚栄なのかもしれません・苦笑)
人間はひとくきの葦に過ぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するに及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢を知っているからである。宇宙は何も知らない。
だから、われわれの尊厳の全ては、考えることの中にある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。
すべてが一様に動くときは、船の中のように、見たところ何も動かない。みなが放縦のほうへ向かって行く時には、だれもそちらに向かっていくように見えない。立ち止まった者が、固定点の役割をして、他の人たちの行き過ぎを認めさせる。
かって何人が彼ほどの光輝を放ったであろうか。
・・・
それにもかかわらず、彼ほどこの光輝を享受しなかった人があったであろうか
33年のうち30年は世に現れずに過ごす。3年間は詐欺師と見なされる。祭司や長老は彼を拒否し、友と近親とは彼を軽蔑する。ついに彼は仲間の一人に裏切られ、ほかの一人に否認され、すべての人に見捨てられて死ぬのである。
教会が破門とか異端とかというような語をつくったのは、むだである。人はそれらを用いて教会に反抗している。
(ルターとかの例を思い出す)