京都、パリ この美しくもイケズな街(第1~3章)

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京都、パリ この美しくもイケズな街 表紙

 


京都、パリ この美しくもイケズな街
鹿島茂 井上章一 著
プレジデント社 発行
2018年9月28日 第1刷発行

鹿島さんと井上さんによる、京都とパリについての対談集です。

第1章 京都人パリジャンの気質
フランス人の名前の「ドゥ(de)」
「帯剣貴族のフィエフ(封地)」を示すための前置詞
貴族の印だが、19世紀になると、貴族でもないのに文学者たちのなかには、オノレ・ド・バルザックのように勝手にドゥを付ける人も現れる。法服貴族の方は、ドゥがなくても貴族。p23

パリは昔から金融ブルジョワの街だった。徴税請負人などの大金持ちが、外国債とか債券に投資しながら代々生きてきた。p27
(渋沢栄一も、パリで債券を学び儲けていましたね)

パリジャンの自尊心の根拠は代々どこに住んでいるかよりも、田舎に巨大な城があるかどうかということ。
日本には封建遺制が残ったけれども、イギリス、フランスは封建遺制を打破したみたいに我々は習ったが、お城になんとか伯爵がのうのうと暮らしていたりするのを見ると、これこそ封建遺制ではないかと思う。

京都市役所の職員が東京へ出張することを今でも「東下り」と言うように、フィレンツェ人もローマを田舎だと見下している。p31

80年代、古舘伊知郎アナがプロレス中継で前田日明を「黒髪のロベスピエール」と呼ぶ。
それから、当時の日本人の教養のすごさに感心する井上さんp50-51

第2章 京都の花街、パリのキャバレーや娼館 
フランスの「規制主義」の起源
別名は「サン・トギュスタニスム」訳せば「聖アウグスティヌス主義」
彼は「人間は基本的に弱い存在である。誘惑、特に女性の魅力には打ち勝ちがたい。特に美人や肉感的な女性に、男が欲望を感じてしまうのは当然だ」と言っていた。p62

なぜドイツ軍はパリを目指すか?
パリには、ええ女がおるから
ナポレオン戦争の時、普仏戦争の時、ナチスの時‥p74

第3章 京女、パリジェンヌの美人力
SMは、フランスでは「イギリス趣味」と言い、イギリスでは「フランス趣味」と言う。
英仏敵対の歴史の影響で、コンドームや性病などは敵から来たとお互いに言う。
フランスではコンドームをイギリス(人)のマント(capote anglaise)と言い、イギリスでは「フランス(人)の手紙(French letter)」と言う。p119-120
(ちなみに梅毒は「イタリア病」と言っていたような‥)