父を語る 柳田国男と南方熊楠

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父を語る 柳田国男南方熊楠 表紙

 

父を語る 柳田国男南方熊楠
谷川健一 編
冨山房インターナショナル 発行
2010年5月21日 第1刷発行

第1部 柳田国男を語る
父を語る 語り手 柳田為正(国男の長男)・柳田冨美子(為正の妻)
(柳田為正『父柳田國男を想う』にも収録)

私から見た父・柳田国男 語り手 柳田冨美子
国男さんは「五行ならびくだる」と。一行ずつ読むんじゃなくて五行いっぺんに読む、すごい速さ。そして校正をしている。p90

絵はがきの心 柳田冨美子 
大正4年に為正が生まれてまもなく、父上は突然、貴族院書記官長を辞職してしまいました。将来を嘱望していた娘婿が大臣を目の前にして野に下りたことは、直平お祖父様にとっては驚きばかりではなく大きな落胆であり、精神的な打撃ばかりではなく経済的な心配もあったはずだと想像されます。p96
(民俗学柳田国男誕生のためには必要な過程だったのかもしれませんが、一族には深刻な挫折だったのでしようね)

 

第2部 南方熊楠を語る
父・南方熊楠の生活と学問 語り手 南方文枝
キューバの曲馬団
イタリア人の曲馬団に日本人の象使いがいた縁で、そこにいた。
南方は象の乗る碁盤を運ぶ役だったが、標本の整理に夢中になって忘れて叱られ飯抜きになった。
曲馬団と一緒でも研究はしており、飯抜きになってもみんなが分けてくれた。
キューバの革命にあったという話はウソだと思われる。p165-166

天皇のご進講の時、標本をキャラメルの箱に入れた話
ボール紙でできており、当時それが一番丈夫だった。
いくらも桐の箱を作らせたが気に入らず、キャラメルの箱が一番いいと言った。p169

天神崎海岸を保護地区にしなければゆくゆくは必ず別荘用地として不動産業者に買収されると憂えて呼びかけたが、一笑に付された。それから五十数年の歳月が流れ、当時の心配が現実となり、いま地元では天神崎買い戻しのため躍起になっている。南方は先見の明があった。五十数年早すぎた。p172-174

 

第3部 柳田国男南方熊楠
二人の巨人南方熊楠柳田国男 谷川健一 
 
『山の人生』における京都での大正天皇の即位の大嘗祭
柳田は貴族院書記官長の職分で、古代の服装で供奉していた。
その時山の向こうに煙が上がっているのに気づき、ははあ、山窩が話をしているな、と思う。
山林を放浪する山窩をながめる目と、宮中の厳粛な儀礼である大嘗祭をながめる目が、柳田国男の中においてまったく同じであった証拠になるのではないか。p202-203

柳田の民俗学も熊楠の人類学も、冬も夏も温度が一定な地下水のようなもの。
世間がどう動こうとも、変わらない世界というものがある。
柳田と熊楠は日本人の心の深層というか、一番深いところまで降りていき、彼らの知識を得ようとした。