軍服を脱いだ鴎外 青年森林太郎のミュンヘン 第4章~あとがき

第4章 ビールと女給 オクトーバーフェストにて
オクトーバーフェストの発祥と展開
鴎外も訪れていたオクトーバーフェスト

オクトーバーフェストが収穫祭であると同時に、民族的な祝宴でもある。
起源は1810年10月12日に挙行された、皇太子ルートヴィヒとテレーゼの結婚式
バイエルン王国は1806年に王国に昇格。独立後まもなく行われるようになったオクトーバーフェストを祖国バイエルンをアピールする機会として利用

祭りの照明の設置業務を請け負っていたのは、物理学者アインシュタインの父親が兄弟と経営する会社。当時七歳であったアインシュタイン少年も、鴎外と同じく、照明を眺めていたのであろうか。p199

 

オクトーバーフェスト植民地主義
鴎外が留学中の1880年代以降、ドイツの対外政策は大きく方針を転換し、カメルーンニューギニアなどの地域を保護国として組み入れ、帝国の拡張を図った。

オクトーバーフェストではアフリカ人が登場していた。

女給の存在と魅力
ビール関連の広告業
モデルはコレッタという、ミュンヘン市内で働いていた女給

ルートヴィヒとルイトポルト
ルートヴィヒ2世の罷免によるルイトポルトによる摂政権樹立
そのわずか三日後のルートヴィヒ2世の変死
オクトーバーフェストに背を向けていたルートヴィヒ2世と違い、ルイトポルトが民心を掌握するためには、オクトーバーフェストは貴重な機会だった。

 

結び 〈ルートヴィヒの時代〉の終焉
うたかたの記』は一貫してルートヴィヒの物語だった。
ルートヴィヒ1世による凱旋門の上のバヴァリア像から始まり、ルートヴィヒ2世の死によって幕を閉じる。

1887年、鴎外はミュンヘンを離れる。去り際に訪れたのは、やはりシュタルンベルク湖だった。
湖上で鴎外の胸に去来するのは、この美しい土地に果てた国王と侍医に対する哀惜の念だけではなく、今まさに終わりを告げようとしている、ミュンヘンの青春への惜別の想いであったのである。p246

 

あとがき
六草いちか氏による鴎外の恋人、エリーゼ・ヴィーゲルトの調査
エリーゼは、ベルリンで帽子職人として身をたてる
ユダヤ人商人と結婚
1953年、ベルリンの老人ホームで86歳の生涯を閉じる。

鴎外の時代のドイツは、統一を果たして間もない時期
ライプチヒドレスデンザクセン王国
文づかひ』はザクセン王国の貴族社会が舞台
ミュンヘンバイエルン王国
うたかたの記』は芸術の都ミュンヘンに花開いた画家とモデルの物語
ベルリンはプロイセン王国
舞姫』はプロイセン流の官僚主義や、再開発が進む近代都市ベルリンを背景に成立