国語と教育 柳田国男 著

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国語と教育
柳田国男 著
河出書房新社 発行
2015年5月30日 初版発行

「教育と国語国策」「母語と人生」「国語教育の古さと新しさ」など、主に柳田国男が国語教育について叙述した文章が収録されています。
ただ最後には、「柳翁閑談」という柳田さんの思い出話的な文章も収録されています。

国語教育の古さと新しさ、より
われわれの学門が、はじめからヨーロッパのラテン語のごとく、ラテン語で読み、ラテン語で書くことをたてまえとしていたら、もっと早くから日本にもダンテとかルーテルとかいう人が現れて、書きことば読みことばをわきへのけて、自分らの話しておる日常の国語を成長させることができたのだが、不幸にして日本の学門は、ことごとく輸入をいったん翻訳して、日本語に訳して利用した。p75-76

国語研究者に望む、より
柳田さんが生まれたところは、ちょうど姫路から生野の銀山に行く街道に添った農村。
その街道は往来がはげしく、二人引きの人力車が日に二、三回は通るようなところだった。
明治8年に医者の家に生まれ、幼い頃の記憶をたどると、この街道を通って新しい文化、新しいことばがどしどし入ってきた。
それで自然、ことばに注意するようになった。p98

柳田さんの一番いやだと思うのはボクということば。
日本語でもどこの国でも一人称の単数というものは、大変使う必要の多いもの。
それが男だけボクという濁音ではじまった二音の、しかもつまずくような形の音でするのはどんなものか。p112

柳翁閑談、より
若いころ、姫路の書写山の自慢話をした柳田さん。
あとで同郷の文学者江見水蔭に、「書写のことを自慢するようではだめだ」とかげ口を言われた。
それからつとめて山路を歩くように心がけてきた。
実際旅の深い味わいは、峠越えの時しみじみ感ずることが多かった。p176
(由緒ある書写山を自慢しても悪くないと思いますが…)

柳田さんが86年の生涯を振り返って、非常に幸福を感じていることは、書物に恵まれていたこと。
子供のころは近隣の三木家に預けられ、そこの書物を読む機会に恵まれ、10歳の時、下総に移ってからも、隣家の小川家の本を自由に読むことができた。
主として、文化、文政以来の雑書が多かった。
官途についてからも、内閣文庫の仕事を兼任させてくれて、ここでもまた読書にふけることが出来た。この文庫の中で、特に興味を抱いたのは、まだ世の中にあまり知られていない随筆雑書の類であった。p205-206

森鴎外さんのところには、中学生の時代からうかがっていた。
鴎外さんは相手が子供であっても、決して軽々しくはあしらわない人だった。
「今何を読んでいるか、こんなものを読むといい」などと、こちらの側にたって親切にものを教えてくれる人だった。
そして、いつ行っても、正面きって話をしてくれる人であった。p212