戦国日本と大航海時代 第1~3章

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戦国日本と大航海時代
秀吉・家康・政宗の外交戦略
平川 新 著
中公新書 2481
2018年4月25日発行

本書では、秀吉・家康・政宗という三人の人物を通して、戦国時代から江戸時代への大転換を外交関係を軸に描き出しています。
世界史の中の日本の働きを通して、当時の外交のダイナミズムについて新たな視点を得ることができ、大変興味深く読み進めることが出来ました。

鎖国というのは閉鎖的な外交関係ではなく、徳川幕府が強力な軍事力を背景に確立させた貿易と出入国の管理のことである。p12

第1章 大航海時代と世界の植民地化
スペインとポルトガルによる世界領土分割体制(デマルカシオン)
1494年のトルデシリャス条約と1529年のサラゴサ条約

アメリカ大陸でのスペイン人による無慈悲で残虐な征服行為を告発した修道士のスペイン人ラス・カサス

フィリピン諸島とメキシコを直接結ぶ航路の開発
スペイン人のウルダネータによって実現される。
北緯38度で貿易風をつかまえ、進路を東にとる。
この北緯38度の航路は、仙台の沖合になる。この位置関係が慶長遣欧使節を誕生させる。

サラゴサ条約の東経144度30分の境界
日本では北海道の釧路と網走のラインを通過
当時は蝦夷地だが、この位置関係はポルトガル勢力とスペイン勢力がともに支配権を主張できる微妙なエリアだった。

ポルトガル人の種子島来航から半世紀の間に、スペイン人、オランダ人、イギリス人と日本は接触していくこととなる。
イベリア・インパクトで更にはヨーロピアン・インパクトともいえる。

ポルトガル人やスペイン人、イエズス会宣教師が語ったアジア征服に関する多くの書簡
それによる明国征服論と日本征服論
明国征服論には即時征服論と時宜征服論が存在する。

第2章 信長とイエズス会
信長と宣教師たちとの出会い
馬揃えの大デモンストレーションや「安土城之図」にこめたメッセージ

第3章 秀吉のアジア征服構想はなぜ生まれたのか
秀吉の征服構想は、朝鮮より遠い明国・南蛮(東南アジア)・天竺(インド)だった。

天正遣欧使節記」において、少年使節があちこちで日本人奴隷を見た、と記されている。
イエズス会宣教師が奴隷貿易に関与していた。p84-86

秀吉が征服したいと考えていた明・南蛮・天竺は、ポルトガルとスペインが支配を実現し、あるいはこれから支配を実現しようとしている地域だった。p113

秀吉が目指したのは、世界最強国家スペインと対抗し、アジアを日本の版図に組み込んでいくことだった。
世界の植民地化を目指すスペインに対する東洋からの反抗と挑戦だった。

秀吉の朝鮮出兵とスペイン国王フェリペ2世との対抗関係でとらえる視点により、秀吉の動きを東アジア史から解放し、世界史とリンクさせたp120