マグレブ系の家族やマリ系の家族において特徴的なことは、まさにその家族がそのまま生き延びていくというよりは、瓦解するということなのだ。
なぜ瓦解するかというと、移民の子供たちと受け入れ社会の子供たちとの接触が十分長く開かれているために、基本的フランス的価値、とりわけ男女平等という理念が、子供たちに伝わるのだ。
1992年に測定された混合結婚の率は、事態が上手く進んでいることを示していた。
当時観察されたのは、文化的に異なる人口が混ざり合っていくプロセスが20世紀の後半に信じがたいほど加速したという歴史的事実だった。
フランスがヨーロッパでそれなりの地位にとどまっていられるのはもっぱらその多様性のおかげということすら、分かっていないのではないか?
パリが一都市でありながら世界でもあるのは、彼らの存在のおかげなのだ。
フランスには対決、受容という二つの選択肢が存在する。
フランス社会には今日、対決の道へと入ってしまっている。
異国風の美女と、国産のブスの間で躊躇すると、フランス人の普遍主義者は一般によき選択をする。
フランス人女性も同じように行動するに違いない。
男女関係におけるイデオロギー的な生真面目さの不在は、その上にものを打ち立てることの出来るいっぱしの台座だ。
ベルギーには、正真正銘の共同体主義が存在している。
言語(フランス語)が同一であるため、倒錯した形で合体してしまった。
シリア難民で、行き先にフランスを選ぶ人はごくわずかだった。
2015年12月6日の地域圏選挙の第1回投票
権力も金銭も持っていない、弱者たちがFNの選挙民の大半
今回投票したのはナショナリスト化または極右化した社会と言うよりも、政治的崩壊過程にある社会。
そこでは人口学的な社会的諸グループが、相互に闘っているというよりも、相互に分離している。
デモクラシーがフランスでは機能していない。