
1890年4月21日 チェーホフ モスクワ発
ユーラシア大陸を鉄道、船、馬車を使い横断、7月11日 サハリンに到着
10月13日まで滞在
ユーラシア南沿岸を船を使い、12月8日 モスクワへ帰還
当時30歳のチェーホフ、サハリンで医者の立場から精力的に住民の聞き取り調査を行う。自作の調査カード7446枚
なぜ順調な作家としてのキャリアを捨ててまで、サハリンまで赴いたのか?
結核をわずらっての無謀な旅は自殺行為に近い。だから秘められた自殺願望があったのではないか?
創作上の行き詰まり打破する転機を求めたのか?
自分に付きまとう女性から逃れて、恋の深みにはまるのを避けたのか?
医者のしての社会的使命感か?
作家としての彼はけっして「社会の教師」にはならない冷静な観察者だったが
医者としての彼は、困難な社会的実践にも果敢に挑戦するヒューマニストだった。
チェーホフは青白くて病弱な作家という連想がはたらく。
しかし実際は身長182cmの、堂々としたがっしりした体格の、陽気で楽天的な南ロシア人であった。
NHK 100分 de 名著 2012年9月 チェーホフ「かもめ」
沼野充義 著
2012年(平成24年)9月1日発行 より