柳田國男全集 2 樺太紀行 等

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柳田國男全集 2
1989年11月15日 第四刷発行

この巻では主に柳田國男の紀行文「雪国の春」「秋風帖」「豆の葉と太陽」「樺太紀行」等を掲載しています。
改めて、柳田の豊富な旅の経験が、彼の民俗学の基礎となっていることを実感します。

「雪国の春」の「夢は新たなり」より P63
筆者などの少年の頃に、家の前の村路が国道になって、毎日毎日牛車に石炭を積み、但馬の生野の官営銀山に運んでいく時代があった。私の在所では石炭のことをゴヘダと呼んでいた。そのゴヘダの黒く光った小破片を、牛車の過ぎた跡から拾ってきて、試みに火にくべてみた者も多かった。
(この村路は、今は「銀の馬車道」と呼ばれているものです)

「秋風帖」より P 272
誰もが省みなかったところにこそ、我々の知りたい事実は遺っている。
旅の学問には人の顔、何でもない物ごし物いいなどが、本に書いていないから自分で行って経験しなければならぬ。

樺太紀行」
日露講和の次の年(1906年?)9月、樺太島の中部高原と、西海岸の一部とを巡回する柳田さん
(ちなみにチェーホフがサハリンに行ったのは1890年で、林芙美子樺太に行ったのは昭和10年である)
露西亜からの強制移民というのは、本来ならば死刑を課せられるほどの、極悪の無期流刑者と、その後裔の者が主であった。その人たちは対岸のいずれかに還っていったというので柳田さんは入っていったが、しかし村々にはぼつぼつと、まだ話の付かぬものが残っていた。