鷗外「小倉左遷」の謎
石井郁男 著
葦書房 発行
1996年3月10日 初版第1刷発行
ドイツから帰国後、近衛師団軍医部長、陸軍軍医医学校校長でなおかつ美学抗議や「即興詩人」の翻訳、文芸評論など順風満帆だった鷗外。そこに突然降ってわいた小倉左遷、それは文学活動などで目立ったことにより、ライバルに蹴落とされたというのが通説だが、その説に真っ向から反論する。
小倉左遷の直後、母親に宛てた手紙の中で「危急存亡の秋」という言葉。そこに左遷のショックとは別の、新たな危機が感じ取れる。
鷗外のドイツ留学時に出会った「早川」という男。彼が鷗外にクラウゼヴィッツの存在を知らしめた。早川は本名を田村怡与造といい、甲斐の生まれ。
「戦争論」とは
①ヨーロッパの主要な戦争の文献をもとに
②自分の戦争体験を加え分析、整理し
③さらにカント哲学の方法で一つの体系にまとめた
(このあたり、石光真清の著書に詳しい)
日露戦争について、鷗外の感想は「悲惨の極」というものだった。