ダ・ヴィンチとマキアヴェッリ

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ダ・ヴィンチマキアヴェッリ
幻のフィレンツェ海港化計画
ロジャー・D・マスターズ 著
常田景子 訳
2000年8月25日 第1刷発行
朝日選書

人生は河の流れのようだ、とよく言われるが、この本はレオナルド・ダヴィンチとニコロ・マキアヴェッリという二人のトスカーナルネサンス人の人生を、アルノ河の流れを変えるという事業を中心に述べた作品である。
当時、フィレンツェにとって、アルノ河下流のピサは目の上のたんこぶのような存在だった。
また、ちょうどコロンブスアメリゴ・ヴェスピッチなどにより、海外市場の可能性が見えてきた頃だった。
この二つの理由により、アルノ河の流れを変え、ピサを無力化し、なおかつフィレンツェを海港にしようと考えたのだった。

ダヴィンチとマキアヴェッリは、最初、チェーザレ・ボルジアのところで会っている。
どの程度の付き合いがあったのかはよくわからない。しかしこの本の説では、塩野先生の説に比べ、わりと頻繁に会っていたように書いていた。
また、ダヴィンチがチェーザレの所に来たのは、フィレンツェのスパイ的な役割もあったのではないかという説も紹介していた。
面白い話だが、あのダヴィンチが、おめおめとフィレンツェ政府のスパイだったとは、少し考えにくい気もする。

その後、フィレンツェで、いよいよアルノ河の流れを変えるという大事業に共同で取り組む。
しかし、当時の技術力では、それは失敗に終わる。
彼らの人生は、短い共同作業の後、X字のように、再びそれぞれの道に別れていく。
この事業は失敗ゆえ、あまりお互い語られる事はないが、それでも「君主論」の中で、運命を川の洪水に例えたり、「モナリザ」の背景には、アルノ河らしき蛇行する河が描かれている。
そしてマキアヴェッリフィレンツェで失意の元で亡くなり、ダヴィンチは遠きフランスはアンボワーズの地でその生涯を終える。
死後、それぞれの形で後世に認められた二人、その隠れた失敗作といえるフィレンツェ海港計画を読み、時代を先んじた天才の悲劇を思わずには入られなかった。
ちなみに、作者は、アメリカの政治学の教授で、原題はFortune is a riverとなっていた。

(写真はフィレンツェ市内を流れるアルノ河です)