ジョイスが滞在していた頃の塔のエピソード(アイルランド)

開館時のジェイムス・ジョイス・タワー

ジョイス博物館を出て、外から開館時の写真を撮ります。

日本語パンフレットに掲載されていた、「ジョイスが滞在していた頃のタワー」について転載しておきます。

 

オリバー・シンジン・ゴガティが住んでいた1904年8月に、彼は、22歳の若き新鋭作家、ジョイスをタワーに招いています。当時、ジョイスは詩集”The Holy Office"に専念しており、この詩集によって、当時のダブリンの文人らの思想と全く異なった世界を築き上げます。ゴガティは、ジョイスの詩集の中で自分が批判されていることに気付いたことから、9月9日にはジョイスはあまり歓迎されません。しかし、彼が滞在を承諾したのも、そうでなければ自分への批判が更に本に書かれると恐れていたからでしょう。数日後、二人はゴガティの友人で、アングロ・アイリッシュのサミュエル・シュニヴィックス・トレンチに会います。トレンチはオックスフォード訛りのアイルランド語を始終話したため、タワー内の緊張が更に深まることになりました。

 

ジョイスの滞在6日目の事、トレンチは黒豹の悪夢を見、叫び声を上げた上、銃を取り出し、暖炉に向かって銃を発射しました。しかし、その直後、何事もなかったように再び眠りにおちました。一方、ゴガティは「あいつのことは俺にまかせておけ!」と叫びながら、ジョイスの枕越しの棚にあった調理鍋を銃で撃ち落としました。これをきっかけにジョイスはタワーを離れ、その後決して戻ることはありませんでした。それから一月後、彼自身、ノーラ・バークナルと大陸へ駆け落ちをしました。