柳田国男の青春(第1章~第6章)

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柳田国男の青春」 表紙

 

柳田国男の青春
筑摩書房 発行
1991年2月28日 初版第1刷発行
 
柳田国男の幼少期から、39歳で「郷土研究」を発行し、民俗学の道に決定的に歩み寄るまでの様々な出来事や出会いを述べた好著です。
 
第1章 二つの故郷 辻川と布川
辻川から北条に移った時、長兄の夫婦別れ、次兄俊二の病死、先祖伝来の家屋敷の売却、神経衰弱の父、貧窮と、飢饉。
この時期は暗い材料ばかりが多い。p10
 
辻川と布川に住んだおかげで、関西と関東の農村を共に知ることが出来た。
その土地柄も、気風も、風俗習慣も、言葉も全く対照的だった。
一方共通点としては、ともに川に沿い、交通の要衝だった。
 
第2章 父母
国男が仏教を忌み、むしろ神道に関心を抱き、さらに神道を通じて日本古来の原始信仰の研究へと入っていったのは、明らかに父の思想の継承であり、その発展だった。
 
国男が民俗学において性を避けたのは、母に対する感情と結びついていたのではないか?
 
第3章 鷗外
鷗外は、国男がその一生において「特に熱烈たる崇敬」をささげた唯一の人物だった。
西欧の学芸に対して国男の眼をひらかせたのは鷗外だった。
 
積極的な意味に解されたディレッタンティズムとは、専門化、特殊化、個別化、職業化を拒否し、つねに全体を目指そうとするやり方である。
学問や文学からではなく、自己の生から発送する立場である。国男が鷗外の著作と人間を通して学んだのは、このようなあり方だった。p49
 
第4章 松浦辰男と紅葉会
鷗外とともに、国男の精神形成に大きな影響を与えた人物は、歌人の松浦辰男である。
歌の影響が最も顕著に出ているのは、国男の文体である。
 
昼の星を見たなど、国男がその存在を漠然と予感し、憧憬を抱いていたうつし世(現世)ならぬものに対し、辰男は幽冥という名を与え、その明確な内容を示した。
明治38年に、国男は「幽冥談」という一文を発表する。
 
第5章 『文学界』の人たち
第一高等中学校に入学する松岡国男。先生からは特に影響を受けなかったようだが、生涯の友を得た。
文学界と国男の共通点
・浪漫派的な気質
・西欧文学に対する憧憬
・恋愛におけるプラトニズム
・従来の文学に対する不満
・アマチュアリズム
逆にわけるものはキリスト教だった。国男はキリスト教の信者にはならなかった。
 
第6章 『抒情詩』
詩とは国男にとって、空想であり、夢であり、逃避である。
詩にとどまるとは、空想に耽り、夢に遊んで、「実際を軽く」見、周囲の現実に目をつぶることであった。
新体詩と後期の仕事のつながり
詩に現れている他界願望-『海上の海』のニライカナイに達する、日本人の他界観
見えざるものへの憧憬-『幽冥談』を経て、『遠野物語』や『山の人生』へと結晶
自然と一体化しようと希求-『雪国の春』『海南小記』などの紀行文や『野草雑記』『野鳥雑記』に存在
プラトニックな恋愛観-民俗学において性を扱わず