播磨の峠ものがたり

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播磨の峠ものがたり 表紙

 

播磨の峠ものがたり
須磨岡 輯 著
神戸新聞総合出版センター 発行
2012年12月13日 第1刷発行

柳田国男も愛した峠。
本書では、播磨(神戸市、朝来市の一部を含む)の66峠を取り上げ、一覧では198峠を記しています。

西脇市住吉町ー篠山市今田町黒石
比延峠
国道175号から比延峠のある県道36号に分岐してすぐに、東経135度、北緯35度が交差する「日本へそ公園」がある。人工衛星GISGPSによる地球規模の測量で、これまでの“へそ”地点から南東方向に437.6mの誤差が生じた。その新中心点にフランス人パトリック・ベルジェ氏によるモニュメントが作られ、新たな「日本のへそ」が誕生している。

 

神崎郡神河町猪篠-朝来市生野町真弓

真弓峠〈生野峠、追上峠、藤の棚〉

徳川時代が終焉を迎えると、明治政府は西欧諸国に追いつこうと鉱山開発を奨励し、再び生野が脚光を浴びた。世界一の製鉱所を目指し、飾磨港に陸揚げされた外国製の鉱山機械を運ぶため、そして鉱物を港に運ぶため、フランス人技術者レオン・シスレイ(シスレー)によって、馬車専用道が作られた。約49㎞、幅6mの道は明治6年(1875年)に着工、9年に竣工し、「生野鉱山寮馬車道」と名付けられた。旧但馬街道を近代技術で拡幅併用し、生野町の南口にあたる盛明橋から真弓峠を越え姫路へ繋がっていた。

 

姫路市大塩町-高砂市北浜町牛谷

馬坂峠

峠名の由来は、羽柴秀吉が西国遠征の途、死んだ馬を峠近くに埋めたところ、夜な夜な馬が化けて出るということから馬坂と呼んだそうである。

 

姫路市木場-姫路市的形町福泊

袖もぎ坂

袖もぎ坂には「袖もぎ地蔵」と呼ばれる延命地蔵尊がたたずんでいる。

昔この坂でつまづいて転ぶと凶事が起こると言われ、厄を払うため着物の片袖をちぎって供えたことからこの名がついたと言われている。

 

たつの市御津町室津たつの市揖保川町馬場

屋津坂峠〈鳩ヶ峰、鳩胸坂峠〉

文政9年(1826年)にシーボルトが『江戸参府紀行』(東洋文庫)を残している。

「・・・室を後にした。小さい町のすぐ後ろに山がそびえ、階段状に岩を切って作った細い道が山越に通じている。人夫も苦労の末やっと駕籠や荷物を山頂まで運び上げた。もっと驚いたのは荷を背負った牛馬が石段を確実に上ることである。ここに、宿屋が一軒あり、従者たちは休憩し、我々は素晴らしい景色に見とれた。・・・馬場村近くで一人の武士が使節一行に藩主の名代として挨拶したのである」と記している。