ワインの世界史
自然の恵みと人間の知恵の歩み
山本博 著
日本経済新聞出版社 発行
2018年3月1日 第1刷発行
ワインの歴史について書かれた本で、日本人の視点から書かれた本です。
そうした意味で、ワインを通して見たヨーロッパ史とその文明の本になっています。
ワインはエジプト、イスラエル、ギリシャ、ローマと、いわゆる今日のヨーロッパ文化、その思想的底流にヘブライムズとヘレニズム、の形成とともに、その一環として育ってきたものである。
資料で裏付けができるワインを飲みだした最初の人々は、シュメール人だと言われている。
メソポタミアからもたらされたワインが、エジプトの地で花を開いたとも考えられる。
ワイン及びワイン文明の生みの親をメソポタミア、育ての親をエジプトということが許されるなら、それを成人にして完成させたのがギリシャということになる。
今日のシャンパンを大産業にさせた地下の大洞穴は、ローマ軍が道路の舗装に使うための白亜を掘り出した跡である。p135
中世、一定の奉仕(期間を限った従軍)と引き換えに、一定の領地(封土)の支配を認めるという封建制が始まる。
このヨーロッパで成立した「封建制」と同じような歴史を持つのは、ヨーロッパ以外では日本だけである。p149
中世のキリスト教信仰は今日のキリスト教が全く無視している一人の熱狂的信者でファンタジックな発想を持ったヨハネが書いた「黙示録」から始まっている。
天国や地獄というようなことは、イエスがはっきり言っているわけではない。p162
中世を彩るのは、ローマ時代と違った意味での「都市」の勃興である。もともと都市は王侯や領主の城下町、大寺院や修道院の門前町として発達するが、または交易の便のよい場所(ことに河川沿い)にも自然に都市が発達していった。
シャンパンはドン・ペリニヨンが考案したというのが伝説になっているが、これは疑わしい。
ルイ14世のご機嫌を損ねてチャールズ2世の王政復古時代にロンドンに亡命していたサン・エヴルモンという人物が開発したといわれる。p208
短くないコルク栓が普及するようになるまでのワインと、以後のワインは全く別である。
それ以前のワインはすべて樽詰めで、樽から出して飲んだ。樽のワインは一年くらいしか持たないため一年物だった。
壜とコルク栓が普及して、初めてワインを壜熟・熟成させて品質を向上させて飲むようになったからである。
壜熟成によって絶妙な味になることはほかの酒ではあまりない、ワインの特性なのである。p233
ナポレオンの偉大な業績
フランス革命のイデオロギー=理念を現実の制度に化体させた人物
「ナポレオン法典」で抽象的なスローガン「自由・平等・博愛」を現実の社会制度にした。
民法典の中の「人格」、「所有権の絶対」、「契約の自由」、「不法行為」は、それぞれ「平等」・「自由」・「博愛」の法律的表現なのである。p252
ナポレオン3世は悪帝扱いされることが多かったが、オスマン知事の大都市改革もその構想と計画については細部にわたるまでナポレオン3世のものだった。
ナポレオン3世の政策のうち、万国博覧会とボルドー・ワインの格付け、そして鉄道がワインにも重大な役割を果たしている。
イル・ド・フランスはもともとワインの大生産地だった。ワインを量産していたため、薄くて酸っぱいものがほとんどだった。しかし鉄道が開通し、南仏のミディ・ワイン(ラングドック地方のワインの愛称)の濃くて飲みごたえがあるワインが大量にしかも安い価格で流れ込んでくると、とても太刀打ちできなくなった。
1975年から世紀末にかけての25年間にワインの革命というべき大変動が起きた。その要因は
・ブドウ栽培とワイン醸造における現代科学の導入
・「流通面」での構造的変革
・「消費者層」における変化
・「ワイン・ジャーナリズム」の発展