最後のソ連世代 ブレジネフからペレストロイカまで 第7章~

第7章 ヴニェの皮肉  ネクロリアリズム、スチョーブ、アネクドート

ミチキー
1980年代はじめのレニングラードに現れた芸術家集団
陽気な極楽とんぼの生き方を伝える。

ネクロリアリスト
好んで実験と称する馬鹿騒ぎをする。

スチョーブ
皮肉の一ジャンル。語り手が皮肉の対象に過剰同調するのが特徴

ライバッハやアヴィアなどのロックバンドにもヴニェの皮肉が効いている。

「追悼文」や「指示」、「個人調書」などによるヴニェの皮肉

後期社会主義の最大最強のヴニェの皮肉はアネクドート
1960年代から80年代末にアネクドートの一大ブームが訪れる。
大量のアネクドートを次から次へと語り続ける(たいていは何人かで語り継ぐ)習慣が生まれ浸透する。
こうした儀礼が広範囲な現象として存在したのは、後にも先にもこの後期社会主義しかない。
この時期だからこそ、イデオロギー・シンボルにパフォーマティブ・シフトがおきて、形式はどこでも再生産されたのに意味がずれていった。

政治的皮肉には少なくとも三つの種類がある。
高笑いするシニシズムで、支配者に対する宮廷の道化が典型
権力を持つ者もこれに服従する者も、政治規範や権力のいうことの欺瞞をしっかり見抜いているか、見抜けないふりをし続け、時々思い出したように軽蔑のシニカルな声をそうした擬装しているものに投げかける。
・闘うのを止めたユーモア
対象としてなる価値や規範は、憤慨したり無力感を覚えたりしつつも、重要で意味があり、時には大切だと思っている。
そうした複雑な反応になるのは、私たちが自分を重ね合わせ、若干は支持していて、歴史的に不可避と考え、闘うのは世間知らずで馬鹿げていると見ている。
ソ連アネクドートは、この三番目の皮肉に該当すると思われる。p407

「結論」より

現実逃避と違って、ヴニェは、権威的発話の意味を変える原理なので、システムの意味の織物を積極的にかつ恒常的にずらし、変化させて掘り出す。
ソ連システムの様々な要素とは政治見解を異にする立場も含むが、かといって単なる異議ではない。
一方でソ連システムが永遠で不変だという感覚を共有し、でも他方で結果的にシステムを内側から掘り崩す。
システムの永遠不変の感覚が共有されながら、同時に内部の脆弱化につながる。p423

訳者解説

外在
小説における、作者と主人公の関係
例えば藤子・F・不二雄(作者)とドラえもん(主人公)に当てはめれば、ドラえもんは、藤子と同一ではないのは当然として、藤子に完全従属でもない。
「キャラ立ち」した主人公が、作者の思惑を超えて勝手に動くことがあるからだ。
このキャラ立ちがおきる現象が、いわば外在である。 p446-447

歴史を語る場合「過程」は語りやすい。
スターリン批判なりキューバ危機やペレストロイカであれば、始まりがあって終わりがあり、ビビッドな、あるいは論理的な語りが可能である。
これに対し本書は「状態」を語っている。多面的で名付けがたく語りにくく、つかみどころがない。p454

(通常の歴史書では、政治家の言動や大きな事件を中心に描くのに対し、この本ではソ連時代の「土壌の中に潜む様々な微生物」を分析し描いてくれていた。そのため難しい面もあったが、一方で新鮮な視点を得ることができた。そのような微生物たちにより、土壌に革命的な変化が起こり、永遠を思われていたものが簡単に覆ってしまった、そういう歴史の底辺で静かに、しかし劇的に変化する地盤の重要性を認識できたように思う。)