宮本常一 聞書 忘れえぬ歳月 〈西日本編〉

イメージ 1

宮本常一 聞書 忘れえぬ歳月 〈西日本編〉
田村善次郎 編
八坂書房 発行
2012年1月25日 初版第1刷発行

この本は農林省関係の「農山漁家生活改善技術資料収集調査」というやたら長い題名の報告(笑)のうち高知県土佐清水市広島県世羅郡世羅町旧大見地区、石川県輪島市河原田地区の聞書を主とし、それに「日天丸帆行記」「和泉山村記」「赤石開発記」を加えています。
農林省絡みの報告より、若き宮本さんのフィールドワークともいえる「日天丸帆行記」「和泉山村記」の方が生き生きとした内容で興味深いです。

瀬戸内海 日天丸帆行記
昭和10年3月27日から3月31日にかけて、帆船日天丸に便乗して兵庫県高砂市別府港)から大分県佐賀関まで瀬戸内海を航海した記録
瀬戸内海を航行する帆船の船員生活体験記として貴重な記録
当時、大阪府の泉北地方で小学校の教員をしながら民俗学研究の志を深めていた。春休みを利用した旅行と思われる。

別府(高砂市)から南風を利用して瞬く間に家島を後にする。

海には必ず海を守る神様がいる。
播磨灘には池田の観音様
燧灘には讃岐の金毘羅様
周防灘には室積の普賢様
安芸灘には宮島様
皆、女の神様
しかし水島様には守る神様がいなさらぬ。そこで魔がさそうから甲板には寝られない。

神様にはそれぞれ好き嫌いがあって、観音様は煙草を嫌う。従って播磨灘では煙草を吸うてはならぬ。
(タバコを吸ったことのない自分は観音様に好かれそうです・笑)
また観音様が播磨灘までやってこられたとき、ちょうどお粥をたいていたが、その煮える音で嵐の来るのに気づかなかった。そのため時化を喰って池田に流れ着いた。そのため播磨灘ではお粥をたくのをきらう。p17-18

ナルトモノ(鳴門物)
鳴門海峡の方から吹いてくる南東かかった東風
播磨灘はこの海峡からすぐ太平洋に連なっているため、波が急に高くなってくる。
その影響で徹夜で帆の応急措置を行い、危機を免れる。

この時は無事大分まで着いたが、それから一か月半ほどたった5月半、佐賀県呼子沖で暗礁に乗り上げて沈没した日天丸

大阪府 和泉山村記

和泉葛城の最高峯岩湧山
その山の頂の近くに凩の吹きすさぶ頃になると夜、かすかなる灯影が二つも三つものぞまれた。
その灯は頂上に散在する高野豆腐小屋の灯だった。
昭和9年2月17日、その小屋を目指す宮本さん。
その途中、高向村滝畑に立ち寄る。信太村から来た暦師がいないか探すためだった。
そこから葛の葉狐の伝説を解決したいと思った。

漁民の生活・鰹漁の村・網漁の村・鯨とりと大敷網


石川県輪島市河原田
熊野の稗田源次郎さん
大正10年5月 徴兵検査ののちウラジオへ送られる。
ゴレンキというあたりで馬賊が出没し撃ちあいをする。
その時知人が源義経の墓の写真版を見せてくれた。
四角な台石の上に亀が座っていて、その上に墓が立っていた。
シベリアのどこにあるのか稗田さんはよくわからなかったが、義経はシベリアで死んだのだなと思った。p223-224
義経のチンギスハン伝説からのものだろうか。日本の大陸進出とも関係していたのだろうか?)

赤島開発記
対馬の中間部分の東にある小さい島、赤島
ここに住み着いた橋本米助翁の苦難の一代記