柳田國男全集 3

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柳田國男全集 3
1989年10月31日 第1刷発行

この巻では「水曜手帖」というエッセイ集、「北国紀行」という少壮官僚時代の旅行の記録、「五十年前の伊豆旅行」、「瑞西日記」、「ジュネーブの思い出」、そして「菅江真澄」がおさめられています。

P81 将来のチョコレート(大正11年3月 同人 より)
ジュネーブの名物はチョコレート
アフリカのココア
これらをつなぐために、ジュネーブの湖水から、ローヌ川により南フランス、マルセイユ港を通ってきている。
マルセイユアルジェリアやタンジールの隣の港
欧羅巴人の阿弗利加を理解していることは想像以上だった。大阪神戸にて満州の話を聞く以上に、利害の感を深く持っている。
フランスはアフリカの北から入り込んで、南進してイギリスの利害と対決。この相撲が赤道の直下で水になったのが、すなわち(柳田さんも関わった)委任統治
国際連盟の所管に帰し、一昨年からジュネーブでこの問題を攻究することになった。
あたかもアルプスの麓の酪農場へ、サハラ以南のココアを輸入して、チョコレートを作るような感じ
また更にチョコレートには砂糖が必要
その砂糖は東南アジアから盛んに行き、アメリカの真ん中からも入り込んで、小事業にも各大陸の協同が必要

北国紀行 P258
大垣の町の広瀬署長よりサンカの話を夜遅くまで聞く

瑞西日記
国際連盟委任統治委員会で働き、本を読み、近いところを歩き回っていた。
ジュネーブの思い出 初期の委任統治委員会
オランダやノルウェーの委員も英語には苦労
そんな中イギリスの委員が目立っていた。
何か問題があったときでも、内情をすっぱ抜いて喋ってしまう。その率直を徳とした。
しかし言葉が自分のもので、家で物言うのと同じような気持ちで加減をしいしい同僚を導いていけるのも要するに英語が国際連盟の用語だったゆえだった。
そしてエスペラント公認案に、並以上の関心をよせた柳田さん。
しかしエスペラント案は葬り去られてしまう。

宝暦から文政年間を生きた菅江真澄(1754-1829)という旅行家の記録
明治末年に菅江の「真澄遊覧記」を読んで以来、旅の跡をたどりたくなった柳田さん
本名は白井秀雄または英二
三河国の出身で諸国を歩いた後秋田の久保田(現秋田市)の城下に住み「真澄遊覧記」などの著述をする。
(本名が妙に現代的ですね)