学問への旅 ヨーロッパ中世
学問への旅 ヨーロッパ中世
木村尚三郎 編
山川出版社 発行
2000年4月30日 1版1刷 発行
序文
1990年の大学定年までの数年間、大学院の学生諸君とゼミでともに読んでいたのは、十四世紀末の著者不詳の史料、『メナジェ・ド・パリ』だった。
少なくとも六十歳に達していたと思われる夫が、十五の妻に綿々と、かきくどくように説いた、めっぽう面白い生活指南書、家事の本である。pv
Ⅰ 王と貴族
スコットランドの形成と国王たち
シスナンド・ダビーディス
十一世紀スペインの一貴族の生涯
中世シチリアのノルマン王と官僚、貴族たち
十二世紀シチリア王権の二つの特徴
・この王国の王たちが、王宮で多くのイスラム教徒に囲まれて生活していた
・王権を支えていたのが、宮廷の重臣・官僚たちと伯やバロンたちの大諸侯たち、首都パレルモの市民だったp61
中世ハンガリーのクマン人とラースロー四世
ジャック・クールの時代 15世紀フランスの商人と国家
ジャック・クール
1395年頃、ブールジュに生まれる。ジャンヌ・ダルクと同時代人
東地中海との貿易で得た富をさらに商業に再投資する以外に、2つの方向に投資した。
・パンパイィ銀山のような産業経営
・フランス王国の国政
ウェイクフィールド橋上の礼拝堂 橋と伝説をめぐって
ウェイクフィールドの中世の橋の上の礼拝堂。ブリッジ・チャペルと呼ばれる。
現存のブリッジチャペルはわずかに4つ
ウェイクフィールドは、バラ戦争にまつわる悲劇の伝説となっている。
Ⅱ 知識人と民衆
ランスのヒンクマールと「一日参集会」
ランスの大司教ヒンクマール(在任845-882)
一日参集会 司教区内の聖職者が毎月一日に、首席司祭区ごとに集まる集会
これは古代世界の新月祭の伝統が中世キリスト教世界の中に受け入れられ、定着したものといえようかp150
ラウール・グラペールと「紀元千年の恐怖」
ラウール・グラペール(985ごろ-1047?)
十一世紀後半のブルゴーニュで活動した修道士
『聖ギヨーム伝』と『歴史五巻』を書く
性格的に問題あり修道院から追放される
1030年から35年にはクリュニー修道院に滞在
1036年には古巣のオセールに戻り、10年後そこで没する
『歴史五巻』と、そこに記された紀元千年の記述により、フランス中世史を研究するものにとっては、看過できない人物
キリストの生誕および受難から千年たった紀元1000年と1033年に特別なこだわりを持っていた。
ニクラスハウゼンの笛吹き ハンス・ベームと中世後期の宗教的民衆運動
中世後期から近世、つまり14世紀から16世紀に、この地域で教会や聖職者を批判し、教会の刷新や社会の改革を主張する言説がさまざまな社会層から唱えられた。
社会の最底辺の牧人にて楽師のハンス・ベーム
右手に縦笛を持ち、右手首に固定された太鼓を左手に持ったばちで叩く
幻視から神のメッセージの告知者となり、ニクラスハウゼンへ多くの巡礼者を導く
フランシクス・ザバレッラと公会議主義 コンスタンツ公会議の時代
ユマニスト、レオン・バッティスタ・アルベルティ
人文主義者のアルベルティは、フィチーノのような神秘主義に浸るのでも、公民的ユマニストらのような政治色の強いメッセージを発するのではなく、家族とそのメンバーにとってのユマニスム的理想を提示したことが、最大の特徴である。p227
ファン・ルイス・ビーベスと中世末期の貧民救済論
ミージロフ家をめぐって 十六世紀ロシアの商工業者たち