故郷七十年(新装版) 柳田國男 著

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故郷七十年(新装版)
のじぎく文庫 編集
神戸新聞総合出版センター 発行
2010年3月25日 新装版発行

柳田國男が故郷の兵庫県辻川(現・神崎郡福崎町辻川)を離れてから約70年後の1957年(昭和32年)、柳田83歳の時に聞き取りがなされ、翌33年1月9日の神戸新聞でその連載が始まり、200回をもって終了しました。
それをまとめた貴重な証言集となっています。
故郷を離れた頃
私の生家
布川時代
辻川の話
兄弟のこと
文学の思い出
学生生活
官界に入って
柳田家のこと
交友録
私の学問
との章に分かれています。
今まで柳田國男について断片的にしか知らなかったのですが、この本を通じて、親族や人生の流れなど系統立てて知ることができました。
特に短歌の紹介が多く、文学者としての柳田國男としての片鱗も感じることができました。

故郷の辻川という地名の由来
東西に貫く前之庄から作用の方へ延びる古い街道に、十字形に交叉して、古く開けた港の飾磨津から北上して生野の方へ達する道がある。(その道は、今は銀の馬車道と呼ばれています)
江戸時代の国学者で小説家の上田秋成なども辻川を通ったらしい

「山の人生」の序文について
法制局の参事官になったときに、特赦に関する事務も扱っていた。
この仕事は皆に嫌われていたが、柳田さんだけはそれを面白がっていた。事件の内容そのものに対して心引かれて、もとの予備調書から見ていった。
その話を皆に話したいという気持ちから「山の人生」を書き始めた。

国際連盟委任統治委員会の委員として、ジュネーヴで働いていた柳田さん
言葉の不自由に困る。その悩みから、エスペラントの運動に加わり、連盟でエスペラントを用語に採用する決議案を出そうとして話を持ち出したところ、英仏だけでなく、他の国からも大変な反対にあった。

ローマの北門を出たところにある小さな博物館で母と子の像の陳列を見る柳田さん
聖母子像だけでなく、キリスト以前のものもある。マリア観音や子安観音との関連。
更に子安から子安貝すなわち宝貝にまで想いをめぐらせる。ドレスデンの博物館にある、アフリカから持ってきた木像の眼に、この子安貝が入れてあった。

外国人が訪ねてきても、本当に日本のことが知りたくて来る人にだけ親しくすることにしていた柳田さん。その中で、ロシア人のネフスキーについて追憶する。
帝政ロシアから日本に来て、学校の先生をしながら民俗学の研究に努め、日本人女性と結婚し、革命後騙されて労農ロシアに帰り、夫婦とも醜い最期を遂げた。
彼はオシラサマの研究、西夏の発掘事業のこと、そして沖縄の言語の研究で功績を残した。