シュノンソー城のもう一人のカトリーヌ

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シュノンソー城のカトリーヌといえば、庭園の名前にもなっているカトリーヌ・ド・メディチですが、もう一人忘れてはいけないカトリーヌがいます。
その名はカトリーヌ・ブリソネです。
彼女はこの城の、上の画像で言えば手前部分、を夫のトマ・ボイエとともに計画しました。
この夫婦は貴族ではなく、夫は町人出身の財務官、そして妻は銀行家の娘でした。それゆえ伝統にとらわれない、新しい手法を取り入れました。
それは「通し廊下」と「平階段」です。
この当時、城館には通し廊下を造らず、部屋を通り抜けるようになっていました。後の時代のヴェルサイユ宮殿などもそのようなつくりだったと思います。
しかし、安全上の問題があるにしても、宴会や客を接待するのには不便です。町人出身のカトリーヌにとってはとても不合理に感じたことでしょう。
あと階段も、当時はラセン階段が城館では一般的だったのですが、これも不合理だということで、平階段を取り入れました。
このような様式も、そのままこの夫妻の城館だったらそんなに影響はなかったのですが、その後フランソワ1世に没収され、国王や母后の城となりました。そのときに訪問した貴族たちにとっては、通し廊下や平階段は目からうろこが落ちる思いだったようです。
ただ、通し廊下自体は、正規の宮殿ではその後も使用されず、その代わりに隠し通路などが造られました。
平階段は普及し、バロックの時代になると、城館を豪華に見せるために欠かすことができない要素となりました。
カトリーヌ・ブリソネの合理主義が、時代を超えて昇華した、といえるかもしれません。
 
(ヨーロッパの旅 城と城壁都市  紅山雪夫 著 創元社 を参考にしました)