ブダペスト日記 徳永康元 著

ブダペスト日記 表紙

ブタペスト日記

徳永康元 著

新宿書房 発行

2004年8月10日 第一版第一刷発行

 

山口昌男さんとの古書の話と1939年から1942年、第二次世界大戦の足音がひたひたと迫る中でのハンガリー留学記が特に興味深かったです。

 

Ⅰ ヨーロッパの旅日記から

ハンガリーの読書界近況(1995)

学問的な概説書として、ボーナの『フン族とその大王たち』

考古学の近年の成果を援用して、ハンガリー人の現在の領土カルパチア盆地の先住民だったアッティラフン族の歴史

 

中央の旅 ハンガリーとドイツ(1995)

ハンザ研究で知られた高村象平氏の『回想のリューベック』に古本屋の老舗の話が出てくる。

 

ハンガリー、イタリアの旅(1996)

 

日洪文化交流史(1988)

ハンガリーの漢字表記は「洪牙利」

日本への初期のハンガリー渡航

江戸時代末期の

・ベニョフスキー・モーリツ(ポーランド独立運動参加の後カムチャッカへ流刑になったが、脱出し四国と奄美に短期間滞在)

・イェルキ・アンドラーシュ(ハンベンゴローという名前でしられる)

ハンガリーへ来た日本人

岩倉使節団ハンガリー訪問は取りやめになった。

日本の憲法制定のため、ウィーンの法学者シュタインに教えを受けに来た時、短期間ハンガリーに滞在したと思われる在野の政治家の丸山作楽や文筆家の福地桜痴

 

Ⅱ 映画・演劇・音楽

東中央の映画(1993)

市電映画の魅力(1996)

外濠線のころ(1997)

モルナールと『リリオム』(1998)

ハンガリーの作家モルナール。その作品『リリオム』を日本へはじめて紹介したのは森鷗外

バルトークのこと(1994)

1940年のバルトークの祖国ハンガリーへの告別演奏を聴いた著者。バルトークはその後アメリカへ亡命しニューヨークで客死

ヴェレシュさんの思い出(2000)

暗い日曜日」余聞(1996)

この歌はフランスのシャンソンと思っている人も多いが、実はハンガリー人がつくった歌

堀正人先生の思い出(1999)

 

Ⅲ 古書・読書を語る

古本漁りはパフォーマンス 聞き手・山口昌男(1988)

年を取ると、本集めはかえってやめちゃいけない。90になっても、死ぬ二、三日前まで買っていた人が幾人もいますよ。そういう人は、頭がちゃんとしているね。

昭和三十年代後半の神田の古書会館。柳田国男さんなんかも奥さんがついて見えていた。

日本人の書いたヨーロッパ旅行記

明治二十年以降、漢文ではなく散文で書かれる。そして面白いのが二十年代、三十年代で、日本が大国になってからはつまらない。

芥川龍之介の『奉教人の死

『レゲンダ・アウレア』は芥川のホラではなく実際にあった。12,3世紀の『黄金伝説』

芥川はアナトール・フランスが大好きだったからそれが出てくる『シルヴェストル・ボナールの罪』も知っていたのでは?

座談会 図書館とことば(1980)

座談会 本を読むにも気力と体力がいるぞ(2000)

徳永氏はプルーストの『失われた時を求めて』を七十過ぎてから読んだ。

 

Ⅳ 日記に魅せられて

私の日記論(1994)

インタビュー 日記に魅せられて(1993)

わが青春回顧(2002)

1942年5月、ブダペストからブカレストに出て、ドナウ河を船で渡り、ソフィアでソ連のビザを受け、イスタンブールまでトラックで行きアンカラからソ連コーカサスに入る。トビリシからカスピ海沿岸のバクー港に着き、船でクラスノヴォック港に着き、そこから中央アジア鉄道でタシケントなどを通り、中ソ国境の天山山脈のを遠くに見てノヴォシビルスクからシベリア本線に入り、ソ満国境の町オトポールに着いた。

 

昭和20年の7月、満州に行くがそこで空襲にあい、逃げる途中で赤痢に罹り、虎石台という寒村の駅でソ連兵が襲ってくるということでみんな逃げて、赤痢の自分は動けなくて一人仰向けに寝て一面の青空を眺めていた。それでも何時間かするとみんな戻ってきて助かった。

 

Ⅴ〔抄録〕ハンガリー留学日記(1939~42年)

 

思い出の記

回想の中の徳永康元先生 山口昌男

徳永康元さんの思い出 坪内祐三

思い出 徳永祥子