フランスの大統領に上り詰めた完璧な青年
アンヌ・フルダ 著
加藤かおり 訳
プレジデント社 発行
2018年4月1日 第1刷発行
われながらすごいギャップですね。
プロローグ そして”マニュ”は夢を見た・・・
”突然変異体”マクロン
第一章 ”神の子”
第一子の死産から一年ほどで生まれてきたエマニュエル
エマニュエルの言葉「金融の世界はタフだが、そこではいくつかの規則が守られている。しかし、政治の世界に禁じ手はない」p44
第二章 マニュとマネット、「愛するのはあなただけ」
祖母のジェルメーヌ・ノゲスはマネットと呼ばれた。
祖母と孫エ「マニュ」エルは、お互いを選んだ。特別な絆
第三章 生きること、愛すること
30代、フランス語の教師、子持ち、相手は演劇クラブで指導している男子生徒、舞台はフランスの田舎町、不安に駆られる両親、汚されたモラル・・・
1969年のガブリエル・ルシエの悲劇と共通点のあるマクロンとブリジットの恋物語
一方はカップルの一人が愛のために死を選び、もう一方は共に生き、愛し合おうと決めた。
第四章 生涯唯一の女性、ブリジット
マクロンはブリジットこそが自分にとっての”選ばれしひと””生涯で唯一の人”であることをわかっていた。
エマニュエルはこの結婚を通じて、既に存在していた家族をまるごと引き受けることにもなった。
ブリジットの家族は当初、二人が付き合うことに強固に反対していたが、エマニュエルは彼らと少しずつ距離を縮め、最終的には信頼を勝ち取ることに成功した。
七人いるブリジットの孫はエマニュエルの子どもであってもおかしくない年齢で、この若いお祖父ちゃんを”ダディー”と呼んでいる。
ストラスブールの国立行政学院(ENA)のレオポール・セダール・サンゴール期生のマクロン
(ENAでは伝統的に入学時に自分たちの学年に自由に名前を付ける。サンゴールはセネガルの初代大統領で詩人)p104
ブリジットはエマニュエルといっしょにスカイダイビングをするため、飛行機に乗り込んだ。それもパラシュートなしで。彼女は運命と、そして人とは違う人生と結婚したのだ。p110
ブリジットは「フランス人はカップルに投票する」傾向を意識し、必要があれば進んで人前に出ることを厭わない。
(そういえばフランスの県議会選挙は男女カップルで立候補するシステムでしたね)
第五章 エマニュエル・マクロンと文学
第六章 人を魅了する力
マクロンは直接会って話をするという手法をよく使う。対話を試みることはマクロンの癖であり、彼が師と仰ぐ哲学者、ポール・リクールの教えの一つを具体的に実践する方法でもある。
マクロンは相手を魅了して手に入れるという行為を、女性を次々とたらし込む性的なものとしてではなく、自分はすごいのだという自信を確認し続ける手段として捉えているドン・ファンだ。
マクロンはオワーズ県庁の研修で10点満点を得たが、満点をもらったのは140人の研修生の内たった三人で、彼の場合は評定書にこんなコメントまで付いていた。”類まれなカリスマ性をそなえた学生である”。
第七章 代父と兄たち
マクロンは実父の他に父代わりとなる人物を次々に得ていった。そうした人々は彼にとって指導者であり、マクロンは彼らの一部を、如才なく愛情をこめて”兄”と呼ぶ。
第八章 ”システムの申し子”の家庭風景 ジャン=ピエール、ジャック、アラン、ダヴィド
ジャン=ピエール・ジュイエ・・・高級官僚、政治家
ジャック・アタリ・・・欧州復興銀行元総裁
アラン・マンク・・・裏で糸を引くパリの実力者
ダヴィド・ド・ロチルド・・・パリ・ロチルド(ロスチャイルド)家第五代当主
第九章 社交界とセレブたちとの交流
マクロンは自分の実績や失敗を訴求力の強いストーリーテリングに落とし込み、キャリアにおいても私生活においても勤労と確固とした意志を通じてつねに常識に挑戦し、旧習を打破しようとしてきた人物像を作り上げた。
セレブ雑誌界の”陰の女帝”である”ミミ・マルシャン”がマクロン夫妻の写真を管理している。
2016年、マクロンはオルレアンのジャンヌ・ダルク祭りの総合ディレクターを務めた。p230
第十章 政界の未確認飛行物体(UFO)
マクロンの祖母マネットが亡くなったことを伝えられたオランド大統領は「お祖母さんを亡くすことはつらいことだ。私も自分の祖母を亡くしてつらかった」という陳腐な言葉をかけた。
マクロンはその時、オランドが鈍重な人間だと理解した。
言葉一つで政治家の運命は変わるものなのだ。
追記 若き成功者としての大統領
ガラスのピラミッド前での勝利集会
このピラミッドは、かつてミッテランが各界の伝統を重んじる人から上がった、悲鳴にも似た反対の声を無視して造らせた建造物だった。
ヴェルサイユ宮殿内の最大の部屋をマクロンとプーチンが並んで延々と歩く演出
300年前、ロシアのピョートル大帝がヴェルサイユ宮殿を訪れ、当時七歳だった少年王、ルイ15世に心奪われた。
自分がフランスの歴史を受け継ぐもので、さらにヨーロッパの指導者となりうる存在だとさりげなく主張した。